プール雨

幽霊について

ドラマ『ポワロのクリスマス』(何らかの意味でネタバレしています)

(ドラマでは「ポワロ」、原作小説では「ポアロ」のため、下記でも表記が混在しています。読みにくいと思いますが、許してください)

honto.jp

 『ポアロのクリスマス』はクリスティーにはめずらしい密室殺人もので、読んだときの印象では「これはちょっと、映像化が難しいのでは」という感じでした。12 月 22〜28 日の、クリスマスをはさんだ一週間に起こる事件で、基本的に現場のゴーストン館のみで推移します。これがシンプルなようでいて、登場人物が多い。冒頭近くで亡くなってしまう被害者の長男夫婦、次男夫婦、三男夫婦、放蕩者の末っ子、孫、被害者の旧友の息子、そこに被害者の付き添い、執事と、容疑者が全部で 11 人。この 11 人が殺害時刻にどこに誰とどうしていて、どんな音を聞いて、ということが繰り返し繰り返し、粘り強く語られます。聖書、シェイクスピアディケンズと先行テクストからの引用もたっぷり。そこに密室トリックもあり、もし映像化するとしたら三時間くらいかかるのではと思っていたらなんとこのドラマは一時間半強。しかも、冒頭には原作にない、被害者シメオン・リーの若かりし頃犯した罪の映像も入ります。さらに、原作には登場しないジャップ警部も登場。なんと! これで時間内に収まるのでしょうか?

#42 ポワロのクリスマス

#42 ポワロのクリスマス

  • 発売日: 2016/01/22
  • メディア: Prime Video
 

  収まりました。

 職人。

 ふう。

 なんと、三男夫婦、出てきません。

 また、原作では冒頭から登場しているシメオン・リーの旧友の息子、スティーヴン・ファーも出てきません。

 三人も減っている。

 大胆。

 この三人は、原作『ポアロのクリスマス』において、情緒面でかなり重要な位置を占めていまして、特に三男デヴィッドの妻、ヒルダはとても魅力的に描かれていて、ポアロは一目見て魅了されています。

(前略)そしてこのヒルダの充実した、気持ちのよい力強さ。ヒルダは、そのどちらかというと野暮な髪かたちと流行おくれの服装のために、幾分ふけて見えたけれど、実際はもっと若いのであろう。彼女のねずみがかった茶色の髪には少しも灰色が混ざっていなかったし、その少しずんぐりした顔についている、落ちついた淡褐色の眼は、優しい灯火のようにかがやいていた。

アガサ・クリスティーポアロのクリスマス』村上啓夫訳 早川書房 p.220 より)

  被害者は非常に傲慢でイヤな人です。読んでいるだけでも「うへえ」となります。この傲慢強欲そして悪趣味な親父に育てられた四兄弟。長男は神経質で保守的。次男はばか。三男は優しいけど、というか優しいから父親とは折り合いがつかず早くから家を出ている。四男は父親の金を使い込んだり小切手を偽装したりして勘当された放蕩者。四人それぞれに殺害動機があって、交通整理が大変です。読者の頼りになるのは長男の妻、リディア(優しくてしっかりしてる)と、さきほどあげた三男の妻ヒルダ。後は若手のピラールとスティーヴンも生き生きとしているのでほっとするのですが、なにせ得体が知れないので油断できません。

 亡き母の面影を追い、父と対立し、父が死んだときには重荷を下ろしたような気がしたと証言してしまったデヴィッドと、「充実した、気持ちのよい力強さ」をもったヒルダ、そして若いスティーヴン。

 こんな、重要人物を三人もドラマから外して大丈夫かしら? つじつまが合わなくなるんじゃないかしら?

 大丈夫じゃない部分はありました。

 クリスティーものの楽しみである、女性たちの連帯がこの小説でも大きな位置を占めるのですが、ヒルダがいなくてはそれが描けません。原作ではリディアとヒルダが姉妹として友情を結んでいく過程が描かれるのでお楽しみに。

 大丈夫じゃない部分は他にもありますが、結末に触れることになるのでそれはさすがに秘密にします。

 この巨大な穴を埋めるのがなんと、ジャップ警部なのでした。

#40 死人の鏡

(『死人の鏡』のジャップ警部。向かって左)

 この世界の情緒や雰囲気を決める人物が登場しない分、ジャップ警部はポワロにクリスマスプレゼントを贈り、クリスマス休暇には妻の実家で「文化が違う……」と居心地の悪そうな顔をし、そうこうしているところをポアロポワロに「救出」され、館のみなさんの驚くべき言動には素朴に驚き、密室トリックにはぽかーんとし、ちょっとした矛盾には「変なの」という表情を見せ、終盤のある、改編によって生じた無理な展開にははっきりと口を挟み、私たち視聴者の心を支えてくれるのでした。

 ジャップ警部がポワロに贈った驚きのプレゼントによって捜査が進展したり、ポワロのおもしろい顔が見られたりと、見所満載でした。

 ドラマ版を最初から見ていると、ポワロ、ヘイスティングスジャップ警部の三人の友情がドラマ版では軸となっていて、そこが原作と全然違うところで、ドラマならではの楽しみです。