エルキュール・ポワロ。
昨年の 4 月くらいから NHK BSプレミアムで再放送していた『刑事コロンボ』と『名探偵ポワロ』。どうせ家に閉じこもっているのだから、いい機会だからと、初めて両方とも最初から最後まで続けて見ました。
コロンボは途中、明らかにおもしろくなくなりましたが、最後のシーズンでまき直しました。気合いと技術と誠意を感じました。
相棒をもたず、ひとりで容疑者と相対するスタイルのコロンボが、最後には優秀な同僚に恵まれて、「コーヒー飲まして」と言うと、「超特急でお持ちしますよ!」なんて言ってもらえるというたいへん幸福なラストシーズンでした。これこれこういうことを調べてくれる? と若手に頼むと相手は「10 分で調べます」なんていって、ほんとにぱぱっと調べて来ちゃう。コロンボはまわりを信頼しているし、まわりもコロンボを敬愛していました。それが最終回だけ一変。時が経ち、激変してしまった街で、コロンボ一人だけ元のままで、変人扱いされながら捜査に邁進するという話で、寂しくもあり、やはりコロンボだという思いもあり、複雑な味わいを残しました。
このコロンボが水曜日で、ポワロは土曜日。コロンボを見終えたと思ったら次はポワロで、合間合間に原作のポアロも読まねばならないので、なかなかミステリ的に忙しい一年半でした。
記録に残しておきたいこととして、ポワロもコロンボもどっちも風邪をひいているという、奇跡の週がありました。
この頃のポワロはヘイスティングスやジャップさん、ミス・レモンと仲良くきゃっきゃと生活を楽しんでいました。第一次世界大戦で激変してしまったポワロの生活。でもロンドンでの生活は中年期とはいえ、青春そのものでした。
最終シーズンはマダム・オリヴァという友人がいるものの、ヘイスティングスやジャップはほとんど登場せず、ぐっと深刻な雰囲気が続きました。すべての回で映像が美しく、あれほど笑顔を絶やさなかったポワロが笑わなくなりました。
最終回の『カーテン』は辛い話でした。第二次世界大戦直後、戦勝国とはいえ、人々の心は荒れ果てていて、まるで戦時中のように「誰なら死んでもいいか」「誰なら殺してかまわないか」と、そんな話で明け暮れています。
誰なら死んでもかまわない、殺してもいい、と口にしたとき、その人の頭のすみには「こんな世界、生まれて来たくなかった」という気持ちが生じていて、その人自身を食い荒らしているのではないか、死ねばいいと口にするたび、その人は人ではないものになりはててしまっているのではないか、そんな気持ちになりました。
ヘイスティングスもポワロもその体に深く刻まれた皺とつりあった労苦、怒り、不安、そして倫理が内側で激しくうごめいています。
ああ、遠くまで来てしまったなあと、思いました。
ヘイスティングスといっしょにならんでお皿を洗ったポワロ、ミス・レモンやジャップさんとお料理合戦をしたポワロ、若い人たちの恋愛にはどうしてもお節介をしたくなったポワロ。今、目の前にいるポワロは、そんな、人生を謳歌する彼とはまるで別人のようです。
それでも、最後のシーズンのポワロが好きでした。愛想笑いをしなくなって、切実さを隠さなくなったポワロが好きでしたよ。
さようなら。
そして、暗い瞳のポワロにかぶさるようにテーマ曲がかかり、「ああ、終わってしまった……」と、しょんぼりする私に知らされた衝撃の真実。
「来週からこの時間は『刑事コロンボ』をお送りします★」