プール雨

幽霊について

伊勢物語 二十六段

二十六

 

 昔のこと。

 男が、五条の辺りにいた女と人生をともにすることができないとはっきりして、それを辛いと思っていたところに人から手紙が来た。男は返事にこう詠んだ。

  思ほえず(思いがけず

  袖にみなとの(袖に港ができたかのような

  さわぐかな(さわぎですよ

  もろこし船の(唐土から船が

  よりしばかりに(寄っただけなのに

 久しぶりに「五条わたりなりける女」登場です。清和天皇の女御で、陽成天皇の母であった、二条の后、高子。「たかきこ」「たかいこ」と訓まれる例もありますが、基本的には訓が未詳なので「こうし」と訓まれることが多いです。奈良時代の女性でこの地位であったならもっとはっきりした記録が残っていて訓も明確に推定できるはずなんですが、九世紀から十世紀にかけて、急速に女性の地位が落ちたようです。

 それはともかく、この藤原高子入内前の在原業平との噂が、どの時点でどういう風に立ったのかは私にはわかりませんが、暴れん坊として名高い陽成天皇を支えたのが在原業平その人で、そしてこの陽成天皇を高子の兄、藤原基経が廃したという異様な経緯の中で、藤原基経陽成天皇(高子、業平)という対立が鮮明になったとしたら、そこで二人の噂が再燃、ということもあったのでしょうか。『大鏡』ではこの二条の后について「いかなる人かは、この頃、古今、伊勢物語などおぼえさせたまはぬはあらむずる」と書いていますから、十一世紀頃までにはもう説話化されていて、知らぬ人のないお話だったのですね。

 陽成天皇で思い出したのですが、陽成天皇の次の次、宇多天皇って、一回臣籍に下ってるんですよね。それが陽成天皇廃位にともなって、父親の時康親王天皇になったときに、特別なはからいによって親王にもどって皇太子となっている。そう考えると父方も母方も祖父が天皇で、親王と皇女の間に生まれた息子である在原業平が、政治状況によっては親王に復されて天皇になることも、まったくない話ではなかったのですね。政治状況があれなのであれでしたけれども。

 そんな在原業平が、藤原高子入内前に五条の辺りに通ってきていたら「もろこし船のよりし」的な騒ぎにはなってもおかしくない。

 と、「伊勢物語」の著者は考えた。

 どうってことない歌かもしれないけど、在原業平に対する憧れを感じます。

 「袖」と「みなと」は縁が遠そうで近い。「袖」と来れば「涙」、その「涙」を唐土と行き来する船が立てる浪に見立てて、男は豪快に泣いております。そして、そのもろこし船に見立てられているのは、男その人でもある。大きな音を立てて高貴な人が通うから、みんなに知られてしまった。

 手紙を送ってくれた「人」も心配してなにか、「だいじょうぶ? 噂になってるよ」というようなことを書いたんでしょうか。それで「大騒ぎになってしまったけど、私には泣く以外、どうしようもないよ」とお返事したということですね。

 歌一首の短いお話ですが、なんとなく、「スター在原業平」が味わえておもしろかったので、今宵はここまでにいたしとうございます。

 ここで終わるのも人として何なので花を添えて終わりにします。

かわいらしく咲いている椿

落ちてもきれいな椿

雨に打たれたスズランスイセン

晴れたときのスズランスイセン

かわいいネモフィラ

 三月も終わりですね。

📚 つづく…… 📚