プール雨

幽霊について

明るみに出る

 東京五輪の開閉会式は呪われているように見えます。

bunshun.jp

 が、もちろん、「呪われている」わけではなく、JOC電通による運営のまずさとパワハラによって辞任や交代が続いたというのが現実です。

 そんな中、開会式の演出メンバーとコンセプトが発表になり、ぎょっとしました。

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 "United by Emotion" という語句が意味不明だということ以上に驚いたのが(これ自体もかなりびっくりしたのですが)、そこに「小山田圭吾」の名があったことです。

mainichi.jp

 小山田圭吾はギタリストで、エレクトロニカ音響派といったジャンルのあわいにいるミュージシャンといえばいいでしょうか。その中で比較的大衆的なムードをたたえていた人です。マイナーの中のメジャーというか。

 私はその辺りが好きなので、小山田圭吾はいつも「私の好きな作家のそばにいる人」という感じでした。

 エレクトロニカは大勢で共有するような音楽ではなく、街の大きなビジョンで大音量でながされることはありません。積極的に探さないとたどりつけない。テレビをつけたらぱっと流れるようなメーンストリームを行くものではありません。だからファンは彼の過去の悪辣な言動について(おそらくは)、(かっこ)にくくって頭の隅に収めて「それと音楽は別だから」と言い訳をして聞いていたというのが実情ではないでしょうか。

 しかし、YMO にギタリストとして招かれ、教育テレビの番組に参加するようになると、話は違ってきます。被害者の耳にもその曲が入ることがぐっとふえるわけですし、YMONHK にも責任が生じます。

 私は YMO のファンなのですが、そのアイテムは平素目に入らないところにしまいこんで隠しています。そういう風にしてみて一年ほどでしょうか。このまま、聞かずに過ごせるようだったら捨てることも考えています。これは小山田圭吾が絡んでいるからというよりは、今更ながら「世界が違うなあ」と思うことが続いたからです。

 特に高橋幸宏率いる METAFIVE の「暗さ」が気になっています。緊急事態が続く非日常に聞くには暗すぎる。メンバーには著名な陰謀論者がいて、小山田圭吾もいる。このバンドにはどうしても愚かさがつきまとう。

 小山田圭吾がその小、中、高時代に行った暴力を語ったとき、すでに二十代後半でした。それは経験を対象化して語る告白ですらなく、彼がなおその暴力のただ中にいること、連続していることを示すものでした。長い時間にわたって暴力行為を行っていたという事実に加えて、その暴力を楽しげに語ったという暴力、そしてその後の沈黙、三種類の暴力行為が長きにわたって行われています。

 1990 年代、とくに '94 年頃からポップカルチャの一部を覆った暗い影。あの頃に書いたものやリリースしたものに今なお苦しんでいる作家は多いのでは。あの頃リリースしたもののせいで、出版の世界からいなくなってしまった人もいるでしょう。

 完成間近だったという MIKIKO 演出のセレモニーをまるごと捨てた東京オリンピックパラリンピック開会式・閉会式制作メンバーに、どうしてこの暗い影を背負った人物が抜擢されてしまったのか。そして、小山田圭吾自身、あのようなインタビューを行っておきながら、どうして引き受けてしまったのか。貧困や病という問題をないことにして強行する暴力的な五輪に共感したとでもいうのでしょうか。

 暴力を一度でもふるってしまったら、その後に待っているのは「他者を傷つけた後の人生」です。当たり前ですけれども、ないことにはできない。