プール雨

幽霊について

『アストリッドとラファエル2』⑸「魔女の儀式」を見ました

 全然まとめられないなりにこれを書いて、

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気が楽になったようです。ブログの効能をひとりだけで味わってしまい、お読みいただいた方々には恐縮なのですが、自分の欠点について、やっとあきらめがつきました。

 相手のことを人間だと思っていたらとてもできないようなことをする人に、こっちが歩みよる必要はなにひとつありません。自分を見下している人に対して誠意をもって相対するなんて、できない話です。また、自分以外の人を人間だと思っていないとき、その人もまた人間ではなくて、なにか機械の一部になっちゃってるんだと思います。自分が人間なら、相手も人間なわけで、それならデマなんて口にできなくなる。相手が人間じゃないように思えるなら、そして、デマで貶めてもいいと考えるなら、そのときは自分も人間じゃないんですよ。

 『アストリッドとラファエル2』⑸「魔女の儀式」を見ました。

 代理出産、病気、辺境に追いやられる女性達、その女性達の連帯、親と子といった問題がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、事件部分はよくわかりませんでした。

 事件単体で見ると、暴力などの問題から逃げてきた女性達を保護するコミューンにスピリチュアリティがからむこと、魔女の文化がからむことなどが目くらましになっていてややこしく、代理出産のみで構成した方がよかったのではないかなと思いました。子宮内膜症に悩み、違法な代理出産に臨む人の状況が、その人の証言のみで綴られるのはなんだか不当な気がしました(ラファエルが「力になりたい」と言ってくれて、そして本当にそうするだろうと確信できてよかったです)。

 ただ、疎外されている人びとというテーマがあり、それはこのドラマの基調になっているので、ドラマの情緒面でははずせない要素だったかもしれません。

 あのコミューンで暮らす人びとの「男は来るな」という態度は、全然、当然のこと、感情として姿勢としてありうることだと思いました。いくら「男性すべてが暴力をふるうわけではない」と頭で考えようとしても、現にだれか、男性の暴力で執拗に支配され続けている人からしたら、まずは自分が生き延びるために「男は来るな」という姿勢になるのは無理からぬことです。そして、そう考えているときなら、「男と、その男が認めた女がつくった法律なんか信用できない」と思うようになるのも、想像できます。そしたら、いつしか自分が暴力でだれかを支配する側に回っている、ということも、あるでしょう。

 そういう、いかにも「ありそうなこと」の描写であったように見えました。つまり、真剣ではあっても、妄想を現実のように描写していないかなという懸念が見ている間ずっとつきまといました。

 だから、ちょっとあの辺と、あの周囲でニコラが口にした軽い言葉はかっこにくくって置いといています。こういうほつれが、ドラマ全体の世界観を壊すことはありえますし、その傷をもちながら、後悔をもって鍛えられていくこともあります。

 『アストリッドとラファエル』は出てくる人はみんな「一人の人間」としてあそこで生きています。なにかの役割の象徴ではありません。アストリッドはアストリッドなりに、ラファエルはラファエルなりに、働いて、休んで、生きていきます。だから私は夢中になって見ています。

 まあちょっと、事件部分が若干、都市伝説方向というか、『黒鷺死体宅配便』方向なので、どどどど、どうなる? とそわそわしつつ。

 

📺 おしまい 📺