プール雨

幽霊について

いじめと私

 いじめってなんだろうというと、ストリートあるいは公共側に立った人間(たち)が(結託して)だれかに「出て行け」と執拗に言い続ける行為だと思う。ここにはこういうルール(のようなもの)があって、互いにそれを遵守して生きている、それに従えない者は排除されるべきで、どこまで悪し様に罵られようと、どれほど執拗に暴力をふるわれようと自己責任なのだという理屈が成立するとき、それは起こる。

 「たち」に(かっこ)をつけたのは、仮に主体的に行っている人がひとりでも、「自分は公共を代表している」という意識がどこかにあるとき、または、なにか権威のようなものから「お墨付き」を得ているという思いがあるときに発動するものだと思うからです。

 「結託して」に(かっこ)をつけたのも同じ理由です。

 加害者当人は自身が単独で「公共の正義」のようなものを代表して行っているつもりでも、何か大きなものに接続しているという確信がないと、他人を排除してよいという発想には至らないと思う。

 だから、「やめろ」の一言で終わらせるのが難しいのだと思う。

 いじめを行っている人に「やめろ」と言ったところ逆上され、話がややこしくなり、被害がさらに広がるだけだったという経験は多くの人がしていると思う。

 「どうして」なんて語りかけようものなら、いかにいじめの被害者が悪いか、むしろ加害者であるかが滔々と語られ、その言葉の展開が加害をさらに広げ、事態をひどくしていく。

 まったく、厄介だし、いつだれがその穴に落ちるかもわからない。いつ自分が被害者になるか予想もつかなければ、いつどこで加害者になってしまうかもわからない。

 恐怖です。

 まず、被害者が受けた傷は厄介で根深く、広範で、仮に波が収まったあとでも、いつもその傷をひっかかれながら生きることになる。

 そして、加害者は加害者であることを認めないから、加害を重ねながら生きることになる。

 いったんいじめる側にまわったら「自分が何をしているか」を正確に認識し、言葉で繰り返し説明しない限りは、加害で加害を上塗りする地獄が待っている。「自分がいじめている、暴力をふるっている」という認識に至るのはきわめて難しい。繰り返しになるけれども、「排除していい相手」を発見し、相手に暴力をふるっているとき、暴力をふるっている側はおそらくある種の主体性をすでに失っていて、「みんなが迷惑しているから」とか「社会を円滑に運営するには」とか、そんなよくわからない、自分より大きな機械の一部となっている。そのルールに縛られて生きている「被害者」でもある自身が、ルールのために厳しい言動をさせられている、したがって、これはいじめや暴力ではないのだという理路のなかで迷子になっている。「いじめだよ」と言われてもすぐにやめられないのは、そんな「いじめられているのはこっちだ」という理路に絡め取られているからで、そのなかで加害者は加害で加害を上塗りし、更にひっこみがつかなくなる。

 だから、一度暴力をふるわれたらその関係は終わりだと思う。暴力をふるわれた方はあらゆる方策を、頼れる限りの人や組織を頼り、暴力から逃げ、一線を画し、二度と接触せずにすむ環境をつくることに尽力しなければならない。暴力をふるった側もまた第三者を頼り、被害者から遠く離れることしか、クリーンな生活を手にする方法はない。一旦、暴力の構造から距離をおいた後で、自分が何をしたかについて正確に記述し、認識し、恐怖する時間が必要になる。

 宮家の女性達はずっと、国民にいじめられてきた。時折「雅子さんが気の毒」「眞子さんが気の毒」といった反応が生じても、相手をずらしながら繰り返し繰り返しこの悲劇は続くのだと思う。

 だから天皇制は基本的にもうおしまい。もう無理なのだと思う。

 今や「勤労し、納税する健康な男性とその男性に養われている女性と子ども」以外は排除してよいというメッセージが日々繰り返されるこの社会の「象徴」が宮家で、そこに生まれたら、夫婦ひと組と子どもという「家族」で生きていくことを強いられる。子どもが成人したら一人暮らしをするとか、そのまま離籍して一般市民として生きていくとか、そんな選択肢がない。また、そのときに異性との結婚ではなく、一人で、または同性の友人と生きていくとか、そういった選択肢もない。本質的に自由がない。そして、与えられた選択肢のなかでですら主体的にふるまおうとしたり、苦しみを少しでも表に出したりすると、非難が起こり、「国民からの理解が得られない」ということがつきつけられる。

 たとえば、幼いときから伯母や従妹が「国民」から敵意を向けられるのを見てきて、立場が変わったらそれが自分に向けられるようになり、数年にわたり悪し様に罵られたら、もう「公務」なんてできないと思う。そんな状況に自分がおかれたら、一般市民が恐怖の対象になる。そしてそれは立場を考えると、「出て行け」と言われたのも同然なのだと思う。

 自分たちの社会が、そうした、きわめて不自由な暮らしを強いられている人々の献身に支えられていて、それをよしとする人々に囲まれていると思うと先行きが真っ暗なものに思える。

 平野啓一郎『ある男』で、登場人物のひとりがこんなことをつぶやいていた。

毎日、殴られてると、その現実を受け容れるために、自分も殴る側に回っちゃうっていうか、殴られても仕方ないんだって思ってしまうんですよ。これはもう、どうしたって。 (平野啓一郎『ある男』文春文庫 p.253)

 考えてみれば、私も今まで幾度となく、「いなくなってよい」「出て行け」と言われてきて、その度に心許なさに倒れそうになってきたけど、私たちがいる社会は誰でもそういうことを言われかねない社会で、四十代、五十代ともなれば、程度に差はあれ、いじめや虐待、パワハラ、などの暴力を生き抜いてきたサバイバーとしての側面がある。

  いつも頭のすみにそのことをとめておこうと思う。自分はいじめられながら、暴力をふるわれながら生きてきて、そして「殴られても仕方ないんだ」と思っていた時期もあるということを。あのころ、自分はとても暴力的だった。「女は外に出てくるな」という社会の声と、「女に継がせるものはない。おまえは出て行く人間」という家の声とのはざまで、自分もまた「女だから居場所がなくてもしょうがない」と思い込んでいた。死んじゃおっかなーと思っていたあのころ、たまたまそういう相手に出会わなかったからよかったようなものの、あのころの私なら、誰かに回復不能なほどの傷を負わせていたかもしれない。追い詰められている人にむかって「いじめにあう側にも理由はある」なんて言い放っていたかもしれない。これからだって、それはありえる。

 いつも気をつけていたいと思う。自分は暴力をふるわれていたということ、そしてそうされてもしょうがないと思っていたということ。