プール雨

幽霊について

高畑版『赤毛のアン』第 35 話「夏休み前の思わく」

 勉強でへとへとになったアン、夏休みは一切勉強せずに、思いっきり遊ぶと宣言。ステイシー先生も「愉しい夏休みを」と送りだしてくださいますし、宿題などという野暮なものはないのです。なんせ二カ月です。
 アンは、自分が「子どもで通るのはこの夏が最後になるかもしれない」(松本侑子版では「この夏は、少女として過ごす最後の夏かもしれないもの」)と言います。その、子どもではもう通らないってことに関して、「スカートの丈」の話が出てきました。リンドのおばさんが、アンの背がぐいぐい伸びているので、スカート丈をそのうち、もっと長くしなければならなくなるだろうっておっしゃったのだそうです。それに対する、松本侑子版の注を引用します。

大人の女性は、脚が全部隠れるほど長いスカートをはくことがたしなみだった。しかし子どもは脚の見えるスカートでもよかった。髪も、少女は垂らし、成人女性はアップにして結い上げた。しかし二十世紀初めから、次第に髪型は個人の自由となり、女性が外見で、結婚可能な大人か子どもか、未婚か既婚かを示す習慣はなくなった。

 このところアンやダイアナが考え込んでいたのはこういうことだったのだなあと思います。二人は、最後かもしれない「子どもの夏」を思いっきり謳歌しますし、ステイシー先生やバリーさん、マリラたちも「思いっきり遊んでおいで!」とその背中を押しているのですねえ。
 それはともかく、レイチェルがアンをいい子になった、きれいになったと褒めるシーンのマリラの「にんまり……」という満足げな表情には笑いました。「私のアン」は頭がよくて、きれいで、おもしろくて、とってもすてきな子です。