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幽霊について

高畑版『赤毛のアン』第 44 章「クィーン学院」の冬、第 45 章「栄光と夢」

 『赤毛のアン』第 44 章「クィーン学院」の冬、第 45 章「栄光と夢」を拝見しました。
 おもしろかったのは、卒業試験に合格し、エイヴリー奨学金まで獲得したアンがアボンリーに帰ってきた日、私のことなんてもういちばんじゃないんじゃないの? とすねて見せるダイアナにアンが水仙をなげつけたシーン。どういう衝動でしょうか。わかりませんが、アンはダイアナに「あなたへの気持ちは、この水仙みたいにしおれたりしないわ」と誓いました。原作ではこの水仙が「六月の白百合」。「かっこ」つき。以前、レイチェルがアンの美しさを「六月の白百合」にたとえたことがあったので、アン自身を示すような花です。

あの二人(引用注:ダイアナとルビーのこと)が大輪の紅い牡丹なら、アンは、まるで六月の白百合みたいだね。ほら、アンが水仙(ナルシサス)と呼んでいる花のことだよ  (L. M. モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』より)

水仙といえば、癇癪をおこしたアンにレイチェルが許すよと言って、水仙を摘んでいいよ、と言ってあげるシーンがありました。あの水仙とこの水仙(「六月の白百合」)は同じものなのかなあ? ちょっとわかりません。アニメではしっかり黄色い、あのよく知られる水仙の姿でしたが。もう一回、最初からじっくり読まないとわかりません。白百合はたしか学問の花でもあるのですよね。
 さて、この「栄光と夢」は原作と同じ章題です。原作の注によると、ワーズワースの詩からの引用だそうです。

第一節からこの第四節は、子どもの頃に何を見ても感じたときめき、歓び、夢や輝きが大人になって失われたことを歌う。つまりこの章でアンが手にする栄光(大学の奨学金)と夢(文学士号)がその後、失われるつかの間の輝きであることを、哀切と無常観をこめて暗示している。

 というわけで、来週は過酷なことになりそうです。