久しぶりに街中まででかけました。
早朝いちばんにかかる映画をめざして。
平素なら二週間に一度くらいのペースで来ていたこの場所に、昨年の 11 月以来来ていませんでした。お久しぶりです。
今年最初の映画は『KCIA 南山の部長たち』にしました。
1979 年 10 月 26 日、韓国中央情報部部長キム・ギュピョンが大統領を射殺する。その 40 日前、元情報部部長パク・ヨンガクが米下院議会聴聞会で韓国政府中枢の腐敗を証言していた。キム・ギュピョンとパク・ヨンガクは親友だった。
久しぶりに映画館で見る映画。欲が出すぎて、「うわあ、今のやりとり、意味がわかんないよ〜」と「わからなさ」にくらくらしました。
大統領と情報部部長が日本語のやりとりで友情を示すシーンや、大統領に煙草を差し出すことを情報部長と警護室長で取り合うシーンなど、複数の水準で「わからない……!」と思うことが続きました。
でも、キム・ギュピョンが心のよりどころとしていたものがほんの 40 日間でがらがらとくずれていくのはわかりました。彼が盟友パク・ヨンガクの亡命と学生運動や野党勢力の勢いによって立場が急激に弱まり、大統領の信頼と寵愛を警護室長に奪われていくそのスピード感、その恐怖と怒りと失望にまとわりつくキム・ギュピョンのまじめさ、真心、そして後ろ暗さに引き込まれました。
完全な、男たちによる男たちだけの世界で、主要登場人物に女性はひとりだけ。そしてその彼女には選択肢がない。では、男たちに選択肢があるかというと、選択肢があったのは大統領だけでしょう。大統領には選択肢が示されていました。でも、18 年間独裁政権を維持してきた大統領とその側近らにはその選択肢が見えていませんでした。キム・ギュピョンとパク・ヨンガクには見えていましたが、彼らはヒーローではなく、我々と同様に無力な勤め人です。
大統領は十分すぎるほど卑怯で、「お前のそばにはいつも私がいるから、お前の思うとおりにせよ」と言います。言われた方はその言葉を「責任は私が取るから、自由にやりたいことをやれ」と解釈します。そしていざしおおせると、大統領は「私の指示ではない」「お前はやりすぎた」と言って、彼に責任を取らせるのです。
そもそも「思うとおりにやれ」と言ってもそれは「大統領が飛びつきそうな、喜びそうなことをせよ」という意味で、キム・ギュピョンが実際大統領に「私が飛びつきそうなものを差し出せよ!!」と怒鳴られ、慌てて煙草を取ろうとするも空、という場面のせこさと悲しさと憐れさと……。
大統領の望むことだけを積み重ねてきた 18 年の間に、いつから、どこからとはっきり言えないくらいにゆっくりと、大統領の器は小さく、愚かになり、もはや愚かな者の言葉しか耳に入らず、一般市民に銃を向けることの意味すらわからないところまできていました。
ひとつひとつ、ギュピョンの足下がくずれていく中で、彼がついに決心するときがやってきます。そのときの彼のこわばった背中、肩、首のいたましさが目に焼き付いています。あのこわばった体ではしおおせることなんて、そう多くないはずだという予感がします。
いつも起きているギュピョンの首、乱れる髪を神経質になでつける手、ちょっとした違和感、靴がない、血の気が引く。
おすすめです!
映画では雨が降っていましたが、外は晴れていました。
職場でトラブル対応に当たっていた夫と合流して、焼き鳥を買って公園で食べることにしました。
貸しボートがあるのですが、こげないのに無謀にもボートで池に出て、当然、流されて……大騒ぎしながら、池の縁の柵やなにかを伝って必死にもどっていく、そういう人たちを眺めつつお散歩しました。
私が暢気にクリームラテを飲んでいる間に、例のボートをこげない二人組はボート場に近づきつつありました。ですが、ここで、彼女たちの進みたい方向と船の向きが逆になってしまい、あれではどうにもならんかもしれんね……と思いつつ超能力でも発揮できたらいいのですが、私にはどうにもできないのでただ甘いラテを飲んでいました。結局、どうなったかはわかりませんが、ボート場の職員さんがじっとそちらを見ていたので最終的にはなんとかなったのだろうと思います。池の周りのみんなが彼女たちを見つめていました。二人は終始大笑いしていました。
そして公園をひとめぐりした辺りで、夫が突然、「あれっ、雨ちゃんもしかして、都会に遊びに来るの久しぶり!? そうだよね! じゃあ、じゃあ、買い物しよう!」と言い出しまして、春用のワンピース、めずらしい野菜などを買いました。
バスで爆睡して帰りました。
おわり