プール雨

幽霊について

わたしが語り始めた

honto.jp

セクハラで会社を辞めることになってしまった敬子は、カナダで暮らす妹、美穂子の部屋に一カ月居候し、静養のはてにあることを決意する。一方、敬子のいなくなった会社で働き続ける歩は、敬子のいない空間をじっくりと眺めるうち、あることを決意し、同僚の真奈に協力を頼んだ。真奈は快諾した。そして、「縮小国」で子育てを続ける由紀の目に、デモの行進が映る。デモ隊のコールに、由紀は喝采を送った。

 松田青子『持続可能な魂の利用』を読みました。

 2020 年の話題作を今読みました。恐縮ですが、おもしろかったです。おすすめです!

 買ってしばらく積んでいました。積んでいたのは単に行きがかり上です。その、積んでいた時期にタイトルと表紙から想像していたのは、魂をすり減らして生きるアイドルの子たちがどうかこうかする話で、綿矢りさの『夢を与える』を思い出したりしていました。

 アイドルになった主人公が魂をすり減らしてうつろになる話。honto.jp

 ちょっと違いました。

 違いましたが、やっぱり『夢を与える』と地続きにあるような話で、人々はすり減ってしまった魂の一部をどこか安全なところに送って、そこで自分が生き延びているところを思い描きます。思い描きながら、現実に抗い、その抗っている姿を見て別の人がまた抗い、抗うことが連鎖して……という話です。

 この敬子たちと、敬子が好きになるアイドルが形成する物語の間をぬって、時折、別の視点が入ります。どうやら、「日本」がすでになくなっている時代の高校生たちが歴史学習の一環として「日本」を調べているようです。「日本の『女子高生』」というテーマで研究した「わたし」はこう語ります。

 「女子高生」、そして彼女たちの「制服」は、性的なものとして考えられていた。

 はじめてそう習ったとき、わたしたちは驚きで言葉を失った。重い沈黙がわたしたちの間にあった。

 たとえば、わたしたちが今ただこうしているだけで、道を歩いたりしているだけで、性的な存在とされるなんて、普通に考えて意味が通らない。理解できない。

 歴史には、戦争や侵略など恐ろしい出来事がちりばめられていて、その恐ろしい出来事には常に性的に搾取される女性たちの存在が付き物だった。

 でも、この「女子高生」の時代に、日本では戦争は行われていなかったはずだ。

 それでも「女子高生」と彼女たちの「制服」は、性的なものとして捉えられ、搾取されていたらしい。性的搾取が日常化していた。つまり、その時代は、恐ろしい時代だったってことだ。

 不思議なのは、恐ろしい時代であることを、人々が極力気づかないようにして暮らしていた気配があることだ。彼らは何をそんなに怯えていたのか。あまりにも不可解なので、記録には残されていない、見えない戦争があったのかもしれないと、わたしたちはその不可解さを心に留めた。もう少し、調べてみる必要がある。

(松田青子『持続可能な魂の利用』p.116 より)

 こういうことは、私もよく考えます。

 たとえば 100 年後に人類が生き残っていたとして、そのときにこの日本という国の史料を読んだら、必ずやその人は混乱するだろう、公文書改竄や隠蔽があったという記録があり、汚職があり、市民投票や署名などの意向を無視した施策が続いてるにもかかわらず、政権は安泰で、支持率 40 % を維持している、記録にどこかと交戦状態にあったとはないが、戦時中だとしか思えない、どこかと交戦中だったのでは、それはどこだろう、と調べて調べて調べ抜いた歴史家がたどりついた結論、「なんと、戦争中ではなかった」「にもかかわらず、税率は上がり、一方で福祉は削られ、医療者ですら満足な労働環境が得られず、人々は疲弊し、女性たちは乱暴されても声を上げることができず、声を上げた人々はさらに社会的な制裁を受けることになった」という報告に人々は戦慄するのだった。そんなことをちょくちょく考えます。「この時期のことは支離滅裂で記述に耐える言語がないのではないか」とか。

 『持続可能な魂の利用』はこうした、今、目の前の現実からだれでも考え得ることを叩いて叩いて見事に構成し、別の物語を生んでいます。

 それは、主体性の物語です。自身の主体性を自覚するということ、主体的でありつづけるということ。そして、そこに生まれる連帯の話で、そのときに同じ言葉が彼女たちの間をたゆたい、彼女たち自身を結びつけていくのがおもしろかったです。