プール雨

幽霊について

恢復する

 昨日、散歩をしていて、自分は以前より元気になっているなと発見しました。

 2020 年の今頃は、外に出て人を見かけるとそれだけで「こわい」と思っていました。気持ちがひどく落ち込んで、何もしていないのに涙が出ることが続き、どうして死んではいけないのかわからず、これは抑鬱症状の前駆的なものかもしれない、病院に行った方がいいかもしれないと思っていました。そして今年の 5 月頃、底を打って、その後恢復していったようです。

 5 月頃の記憶はほとんどなく、手帳を見るとかなり忙しかったようで「経済や技術には非政治的な自律性があったが(ここで止まっている)」「汨と汨は別字」など、暗号のようなメモが残っているだけです。

 気分の落ち込みの底が 5 月 20 日であったのは、夫に助けを求めるメールを打って、それを送らないでおいた形跡が残っていることから推測されます。

 この辺りの、何がどうしてそうなったかの記憶はないのですが(6 月の手帳は暗号化がさらに進行して意味不明)、7 月になると少し、体を動かそう的なことをつぶやいているので、あれが自分の気分の底だったのだなと思います。

 ちなみに、その底にいたときに書いていたブログがこれです。

poolame.hatenablog.com

 5 月 19 日ですが、恢復しようという気概が見えます。

 どうやって恢復していったか考えると、以下の三点をあげることができます。

  1. 夜は寝る
  2. なるべく情動を排して言葉だけで考える時間をつくる
  3. だが、情動を認める

 これに、今はもうひとつ加えて、「自分のトラウマを自覚して(かっこ)に括って、目の前のことに結びつけないようにする」ことが大事だなと思います。このことは繰り返しいろんな本で読んできて、そのたびに「そうなんだろうな」と理解はしてきたつもりだったのですが、自分がこの年齢でいまだに父や弟からふるわれた暴力に怯えて、「ああいう人間がこの世には多いんだ」と一足飛びに考えて縮こまってしまっていたこの数年を振り返ると、わかっていなかったんだなと腑に落ちました。

 以前の自分は、努力のしがいがある世界に生きていると思い込むために様々な努力を重ねていました。でもそれらがひとつひとつ、否定され消えていくことが続き、また、無力感をおぼえることも多く、一足飛びに「死にたい」という言葉につかみかかっていたように思います。

 昨日、散歩をしながら、偶然すれちがっただけの人を信用しようと様々な努力を重ねていた昔の自分のことを思い出しました。愚かだったなと思うけど、しょうがないことだったとも思います。

 そして、人生何度目かの「底」から生還してみて、自分は大丈夫なんじゃないかなとも思いました。間違ったり、闇落ちしそうになったりすることもあるけど、多分完全には落ちない。なぜなら、頑丈な胃腸をもち、夜になれば眠くなり、朝になると目が覚めるからです。そして、眠れないときの対処法も複数もっています。今、眠れないときに摂取し、驚くほどの効き目を示しているのがこちらです。

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📚 おわり 📚