選挙の後の野党共闘批判を浴びていると、「有権者の半分は投票を棄権し、投票した人のうち半分強は自公政権の維持を望み、維新の躍進を願う人もたくさんいたということは、日本の有権者を 5 人集めたら、そのうち最低でも 4 人は労働者の権利とかどうでもよくて、いわんや、外国人労働者に対する非人道的な対応や、難民に対する入管の暴力とかはどうでもよく、なんなら自分の基本的人権もどうでもいいんだな〜」なんて思って眠れなくなってしまったのです。
闇落ち目前。
実は選挙のたびに、「じゃあ、なにか、有権者 5 人集めたらそのうち 4 人はあの誹謗中傷デマビラとか平気ってことか」とか「日本人有権者の大部分は奴隷制を肯定しているってことか」とか考えてしまい、「こんな風に考えるのはいけない」と打ち消してきたのですが、今回はなかなか脱することができず、苦労しました。
今も完全には脱しておらず、外に出るのが怖いです。公文書改竄を赦し、憲法違反を許す人は痴漢や泥棒や暴行を赦し、いじめに対して「いじめられる人にも問題がある」と言うだろうと思ったからです。労働環境がよくならないのは、「みんな」が「パワハラくらい我慢しろ」って思っているからじゃないですか。そんな「みんな」なら入管の件も、外国人労働者の件もどうでもいいですよね。
「みんな」のことを怖いと思っています。
そんな「みんな」は実在しないんですけどね。
環境問題を含めて人権問題に取り組もうとすると「反日」って声が上がるようになって、もう何年でしょう。最初はいちいち「じゃあ、なにか、『日本』ってのは人権を大事にせず、環境を大事にせず、労働者は「自己責任」とやらで使い捨てで、年金を株につっこんで株価だけあげていって株主だけうはうは言ってりゃいいと、そういう国だってことか」と怒っていたのですが、それが何年も続くと怖くて。
こういうことを怖がって不安がっていると最終的には……どうなってしまうんでしょうね。
朝、新聞を読むと「こんなの、いじめじゃん。暴力じゃん」ってことが続いて、「みんな」が怖いという気持ちにおおわれそうになります。
でもそんな「みんな」は実在しないんです。全部私の想像なので。
ここで踏みこたえることができなくなる日が来たら、どうなるんでしょう。