プール雨

幽霊について

たいへんなこと

 20 数年前、勤めていた出版社では、徐々に編集業務の外部委託を増やしていました。私が所属していた部局では「こんなに外注に出して、うちの会社はどうなるんだと」不安視する声が上がりはするものの、方針自体の見直しに至ることはありませんでした。

 売り上げが下がるなかで、出版物一点ごとの制作費を下げて点数を増やし利益を確保するため、社内では企画と手配だけをし、編集業務を安い費用で業務委託するという方針でしたが、これでは疲弊するだけではないか、こんなことを続けていたらたいへんなことになるのではないかと、不安になったことを覚えています。

 そのとき不安になった「たいへんなこと」とは、一点一点のクオリティを下げずに点数を増やすには、ひとりひとりの労働時間を増やす以外にないわけで、このまま、給料が上がらないなか労働時間だけが増えていくなら、現場にいる自分たちが若いうちは回っても、10 年後、20 年後、どうなってしまうんだろうということでした。

 私たちが、40 代、50 代になったとき、経済的にも能力的にも余裕がない上に、体が言うことを聞かなくなっていたら、体を壊していたら、そうなったらその先どうなるんだろうと。

 あのとき、「たいへんなことになる」と思ったそのたいへんな未来に今います。そして、「たいへん」はそのことばかりではありませんでした。

 若いスタッフの体力頼みだった仕事がまわらなくなるだけでなく、本来、なんらかの職能を身につけているはずだった<外注する側>の人たちが、そうしたものを身につけていないという問題が起こっているように思うのです。

 私は今外注される側、フリーの人間ですが、数年前からまわってくる仕事に関して「肝心な場所に素人がいる感じ」が漂うようになりました。比喩で申し訳ありませんが、私の仕事は川上から流れてくる桃を受けとめて、その桃が割ったら中から桃太郎が安全に出てこられるかどうかをチェックするというものです。ぱかっと割って、中が安全なつくりになっているかなどをチェックして、「このままだと、川下に流れ着く前に割れるつくりです。下部の強度をこれくらい上げてください」といったコメントをつけて返すのです。これまで、ふつう、桃太郎自身に問題があるケースはありませんでした。核になる部分で、最初につくられ、そして最も丁寧につくられている部分ですから。ちょっと貧弱だなとか、太りすぎだとか程度問題はあっても、桃太郎についてコメントをしたことはありませんでした。桃はぼろぼろでも桃太郎だけはちゃんとしていました。それがここ数年、「桃太郎が入れる構造になっていません。桃太郎はどこですか?」とか「これは親指姫です」とか「桃太郎がすでに成人なのですが」といったコメントを付さなければならない状況が発生し、あげくに、「そっちでなんとかしてくれないか」とか「この一寸法師を桃太郎だという前提で仕上げてくれ」といった無理難題をふっかけられるようになりました。

 これはもちろん、ローカルな問題です。

 でも、確かに、私がいる現場で、「以前なら当然、専門家に依頼していた仕事を、素人が担当している」ということが起きています。そして、それでいいと判断するような人たちが重要な位置にいて、重要な決断をしています。

 それでも、まわりが職能集団ならば何とかなるだろう、というのがまたやはり素人考えというもので、スタートが、核となる部分がぐずぐずだったら、いくらまわりをトリートメントしてもダメなんです。

 だましだましやってきたことがもう限界に来ていると感じます。よその業界のことですが、平気でデマを流すテレビや政治家と記者の非論理的なやりとりを見ていると、「プロはどこに行ったのかな」と思います。

 

突然ですが、おしまい。