プール雨

幽霊について

2024 年 3 〜 4 月にかけて聴いている音楽

上段左から時計回りに。

 今はこの十枚の間をぐるぐるまわっています。

 去年、坂本龍一のプレイリスト「Funeral」が公開されたのをきっかけに、Spotify をしばらく利用していました。

ontomo-mag.com

 最初は「無料でこんなに何でも聞けるなんて」と驚愕しました。「え、いいのかな」と思いつつ使っていくと、まあべんり。K-POP は少女時代と MAMAMOO くらいしか知らなかった私が、ひととおり聞いて「NewJeansおじさん」の話題にキャッチアップできたのは Spotify のおかげです。

 でもやっぱり音楽は CD で聞く方が自分には合っているなと思い、利用をやめています。「Funeral」を突発的に聞きたくなることが予測されるので、アカウントを削除するところまでは行っていないのですが。

 Spotify では主に新譜のチェックをしていました。あとは、ちょっと気になるけど CD 販売がないか、買う覚悟が決まらない作家のものを聞いたり、単純作業のときに BGM として利用したり。仕事で古語の確認が必要なときに気分を盛り上げるために映画『かぐや姫の物語』のサントラを流したり。べんりだった。

 でも、そこをプラットホームとして利用している作家や音楽家の方の話を聞くと、Apple の方が事務手続きひとつとってもきちっとしているようなんですね。そういうのは一事が万事で、事務回りが粗雑だということは働いている人にとっても苦痛な体制になっているはずで、ユーザーと直接相対する人あるいはシステムが利用者にとって不便だってことは何らかの問題が体質として全社的に広がっている状態だってことなんで、「なんか、えらいことになってるんだろうなあ」と想像する。全部想像なんですけど。

 ちょっとした不便や不快さを「仕方がない」といって耐えるのが当たり前という状況が多すぎて、常々、変だと思ってる。カードの仕様が変更になるたびに、以前よりちょっと不便になっている。でもそれをもってカードを解約すると生活上の様々な不便が予想される。だから「これくらい仕方がない」といって我慢して使用を続けるけど、そういうちょっとした不便が積み重なっていて、日常が全体として若干煩わしい。

 なるべく、煩わしさや不快さに対しては積極的に調整をはかり解消したい。

 音楽は CD で聞く。CD で手に入らないものに限り Apple Music で買って聞く。

 私は毎日新譜をチェックしたり、流行を確認したりするほどには音楽が好きじゃない。もう新しい人やものを探していない。今好きなもので十分すぎるほど楽しんでいるし、その中に新しいものが潜んでいる。

 家の中で、一人で出来合いとはいえオーディオシステムを組んで CD で音楽を聞いているなんて、私はぜいたくをしているなと時折思う。なんでこんなぜいたくを身につけてしまったんだろう。どうしても必要だったからだけど、考えてみると不思議なこと。家の中でいつも音楽がかかっているなんて。多分、音楽の流れるこの世界を好きになりたかったんだろうと思う。音楽を入り口にして「みんな」の方へ行けると思っていたし、「みんな」を好きになれると期待していました。

 でもそうじゃなかったです。

 私は音楽を聞きながら、十分楽しみながら、半分は外に体が出ています。半分は聞いていない。「ロック史」のようなものを、きっと最後まで血肉化できない。

 いつ、なにを聞いても新鮮な気持ちです。

 「いいな」と思ったり、「これは好きじゃない」と思ったり。「好きじゃないと思っていたけど、部分的には受け入れられるな」とか「昔は大嫌いだったけど、今は好き」とかそんなことを考えています。

 もしかしたらこれが「刹那的」という状態なのかな。

 あっ、そうだ。CD で聞くと何がいいかというと、始まりと終わりがあることです。聴き始めと聴き終わりがある。自分で選んだ CD をトレイに入れて、再生させて、聞く。終わると、シーンとする。その「シーン」が切れるような寂しさとして感じられるときもあれば、穏やかなときもあり、逆に音楽が終わっていないような騒がしさが感じられるときもある。

 おもしろいですよ。

🎧 おわり ♪