プール雨

幽霊について

Global Strike on Monday for Gaza

www.aljazeera.com

 昨日、月曜日はガザのためのストライキに参加してみてました。"No work, No school, No shopping, Take action for Palestine" のうち、自分ができそうなもの、「買い物しない」と「外出しない」をやりました。あとは InstagramTwitter からログアウトしてました。

 以下は、そんな一日の記録です。

08:07 新しいシャツを、歯磨き中にさっそく汚す。

08:14 Spotify で、家事用プレイリストをかけようとして、これは買い物に等しいなと思い、やめる。宣伝を手伝っていることにもなるし。それに、音楽を無料で聞くことに対するためらいはある。配信側にとってみればユーザーが宣伝をしていることにもなるので、完全に無料というわけではないのだけど、そういう、作家と演者にちゃんとお金を支払わなくて済む仕組みの一部になることや、同時にどう考えても供給過多であることなどにうすらぼんやりとためらいをおぼえる。

 そういうタイミングで以下のレポートを読んだ。

wired.jp

 音楽を無料か、それに近い状態で提供するプラットフォームは最初からその問題が指摘されていて、ずっと塩漬けされている。問題は私たちの目の前にごろんと置かれたままだ。

 今年は坂本龍一がつくったプレイリストを聞く都合で私もずいぶん Spotify で音楽を聞いた。それで、「こんなものがあったらそりゃ、CD は売れなくなるよなあ」とも思ったし、「最初に無料で間口を広くとって、ユーザーが集まった後で『採算取れません、使用料を上げさせてください』と言い出すのをこのところよく見かけるが、無料で人を集めて『ここにたくさん人がいる』という事実を最初につくるという商売の仕方がやっぱりダメってことなんだろう」とも思いました。

10:40 なんかふらふらするなと思い、ごはんを食べる。朝食に紅茶一杯だけだったので、お昼ごはんを早めに摂ることにした。ライ麦パンにチーズ、豆腐とたかきびとじゃがいものスープ、ごぼうのごま和え、春菊のゆでたのなどを食べる。全部で 400 kcal くらい。14:00 くらいにしっかりめのおやつを食べた方がいいと思う。

14:00 今日やろうと決めていたことがまったく片付かないなか、おやつ。豆腐とたかきびとじゃがいものスープ、ぶどう(スチューベン)、豆乳ヨーグルト。鍋を空けたのでこれで晩ごはんは湯豆腐にできる。納戸の片付けに半端に着手して半端に出たゴミを集積所に出す。今週中に片付けばいいのだが。

14:40 BBCの『SHERLOCK』を久しぶりに見る。今日は二話。戦場帰りのジョン・ワトソンがスーパーのセルフレジで困惑し、買い物を諦めるシーンがある。

15:00 わかりやすい名詞ひとつで抵抗を示しても、盗まれて悪用されては辛さが増すだけなので、たとえば「差別だ」と一言で済ませるのではなく、「あなたは今、ひとの属性を犯罪行為と結びつけて語っている。その根拠はご自分の恐怖であって、事実ではない。ご自分の妄想を事実のように考えてしまっているのが問題だ。さらには悪意をもって目の前の事実をねじまげてさえいるから、何重にも事実から遠ざかってしまっている。これ以上何も話さず、家に帰り風呂に入って寝た方がいい」ときっちり指摘できるようでなくちゃいけないな、というようなことを考えた。もう少し考えると、恐怖や嫌悪感はあくまでもその人の気持ちであって、事実ではない。嫌悪感を抱くのは生理的な反応だし、その人の気持ちだから、それはそれとして大事だが、そこから即相手に責任を取らせようとするその攻撃性が問題だ。恐怖や嫌悪感のような強い感情は私たちを誤らせるものらしく、そうした心情を抱かせる相手、その心情を生む現実に対する怨みを抱かせる。そして、最悪の事態を呼ぶことも。

 パワハラやセクハラなどの用語はそもそも、立ち場を利用して嫌がらせを続ける人に、正当化できないよと伝えるためのものだが、嫌がらせを継続的にする人は、嫌がらせの理由は相手にあると認識している。不快なものを感じたとき、その種は自分の外部にあると思い込んでいる。そういう人は攻撃的だし、事実を踏まえないから抑制がきかない。私はそういう人に「それはあなたの妄想だよ」と言ってさらに怒らせたことが何度かある。

18:50 ひととおりやり終えて「どうも今日は体調が悪いようだ」と判明する。

19:00 晩ごはんはお豆腐たっぷりの味噌汁に、真鯛の味噌漬けで味噌御膳です。大根やしいたけ、じゃがいも、白菜なども食べます。

19:30 よく聞く「特攻の方々の犠牲の上に今の僕たちの生活がある」って、すこしでも人間のことを考えていたら言えない言葉だと思う。「特攻の方々の犠牲がなければ今の僕たちの生活はない」と言っているのと同じで、そんなばかなことあるだろうか。特攻のいたましい現実があって、その後に私たちが生きているのは単に時間の前後の問題で、特攻がなければ今がないわけではない。特攻は起こらない方がよかったこと。だって、国家による殺人でしょう。国家が国民を「弾」にして殺したんですよ。絶対にしてはならないことだった。そして、特攻で亡くなった方々に敬意をもつことと、特攻の事実を痛ましく、あってはならないことだと思うことは少しも矛盾しないし、そんな酷いことをした「大日本帝国」とかいう国をひどい国だと思うことも、理路として当然だと思う。「特攻に散った方々」を盾にしているのはだれなのか、それによって守られるものは何なのか。そこを考えたい。

22:00 ポテトグラタンを仕込んで、オーブンに入れたまますっかり忘れていたことが判明した。私はグラタンなしでもおなかいっぱいだったが、雨夫さんは「ちょっと、足りなかった……」という。今からグラタンを焼いて出すのもなんなので、肉まんをレンチンして食べてもらった。私もひとくち食べた。おいしかった。

一日をふりかえって 弟の DV にすら何もできずにいる私が、大国による植民地主義的、侵略的行動になにかできるはずなどなく、ストライキやデモや署名に向かおうとすると耳の奥で「そんなことしたって何の意味もないでしょ」という声が聞こえる。

 でも、やっぱり「こんなのはいやだ」と言っていきたい。それがなににもならなくても。祖母は、ましな社会だったら、もっともっと幸せに、明るく楽しく生き抜けただろうと思う。でも、酷薄で、互いを監視し合って足を引っ張り合う社会だったから、うつむきがちに「えらい人の言うことは黙って聞け」なんて悲しそうに言う人生を送ることになった。私はやっぱりそのことがくやしくてくやしくてたまらない。あのパワフルな人が「いやだ」の一言が言えないままだったことが、彼女が口をふさがれていたことが、そしてあとに生きる私たちの口をふさごうとしていたことが、今でも悲しくてたまらないです。

 「やっぱりいやなんじゃん」ってよく思います。もちろん、今そう言ってほしいけど、あとになってもいいから、「いやだった」って言ってほしいです。