プール雨

幽霊について

『カーテン』ふたたび、さらに『ピエタとトランジ』

 2021 年 9 月、『名探偵ポワロ』(NHK の BS プレミアムにて放送)が最終回を迎えて千々に乱れた私の心でしたが、まもなくまた第一話から放送が始まってしまい、「あれ?」と思いつつ見続け、2023 年秋、二週目のポワロも最終回『カーテン』まで見終えました。

 この『カーテン』がエルキュール・ポワロの人生に幕を下ろす、ほんとうに辛い話なので、何の構えもないままは見られないと思い、一カ月ほど録画を寝かし、つい先日「いましかない」というタイミングが来たときに見ました。

 妻をみとり、今またひとりになったアーサー・ヘイスティングスがスタイルズ荘を訪れたところからドラマは始まります。前回ここに来たときの彼は負傷兵で、自分の身心や将来に不安を抱いていました。あれから長い月日を経て、老境にいる自分を自覚しながら再び訪れると、そこには懐かしい親友エルキュール・ポワロの老いた姿がありました。

 車椅子と付き添いが必要な体でありながら、ポワロは最後の仕事に臨みます。それは、殺人事件の犯人ではなく、殺人を誘発する人間をつかまえることでした。

 その人物は自分で殺人を犯すわけでも、また、死によって利益を受けるわけでもなく、ただ、会話によって人の気持ちを変えるのです。言葉によって悪意を目覚めさせ、表に引きずり出し、殺意に仕立て上げ、行動に移させることで満足する。そういうことを繰り返しているのです。

 舞台は 1949 年で、第二次世界大戦後まもなく。まだまだ傷が癒えないなかで、登場人物たちは「誰なら死んでもいいか」という話に明け暮れます。ぼんやり見ていると「人の心が荒廃しているな」という印象です。ただ、結末を知っている目で見ると、話題が荒れ始めるとき、ある人物のちょっとした言葉や、いかにも気遣わしげな、または不安げな吐露や語りかけがあって、人びとが死について考えさせられていることがわかります。初見でもその人物には不快感を覚えるかもしれません。

 当人が具体的に暴力をふるうわけではないが、その人がいるといつのまにか場が荒廃し、いじめやハラスメントが繰り返し起こってしまう。でもその悪意の中心にいるようには見えない。そういう人物のすることをクリスティーはポワロの最後の事件にしました。

 怖い事件でした。

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 ところでそのころ、私は一カ月ほどかけて藤野可織ピエタとトランジ』を読んでいました。

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 高校二年生の春に、私の人生ははじまった。もちろんその前から生まれてたしいろいろあったけど、書いて残すほどのことは特にない。

 私が通う地方都市の郊外の高校にトランジが転校してきたその日には、私はまだぴんと来ていなかった。退屈なこのあたりにぴったりな、地味な子だなと思っただけ。あと、これなら私のほうが断然かわいい、勝ってるな、うんうんって思ったんだった。

 でも、翌日からなにもかもが変わった。

  (藤田可織『ピエタとトランジ』p.9 より)

 この、トランジによって起こる変化がふるっています。ときめきで世界の色が変わったように見えたとか、そんなんじゃなく、実際に、徹底的に変わってしまったのです。

 トランジのまわりでは次々と人が死んでしまうという現象が観察できます。でも、それは『カーテン』の犯人のように、「殺す」という選択肢が唯一の解だと思い込ませることで起こるわけではありません。それならポアロヘイスティングズがいれば証明できる。しかしトランジのまわりで起こる死とトランジの関係は証明できない。トランジは何もしません。そもそも、死を願いもしていない。なのに、どういうわけだか、ずっと死にたいと思っていた人が死んでしまったり、殺したいなーと思っていた人が相手をふっと殺してしまったりしてしまう。そのことを観察して相関関係を証明し、なんとかしようと考える人びとも現れますが、それぞれにトランジからの「影響」に苦しむことになります。それで、トランジとピエタは引っ越しを繰り返し、極力お互い以外の人間とは接触しないように配慮しながら、探偵業で生きる道を選ぶのでした。

 その町にたどりつくまでに、私たちはいろいろなところを旅してまわった。あちこちの都会と田舎を通り過ぎた。私たちがそうやって日本を出る前から、すでに世界中で殺人がインフルエンザみたいに蔓延していた。ひどいことがそこらじゅうに起こっていた。でも、私にはそれがごく自然のなりゆきのように思われた。だってそれまでも殺人なんてちっともめずらしいことじゃなかったし、戦争は長い雨のように止まず、ひどいことはずっと起こり続けていたからだ。それをたまたま雨がふと途切れたように感じたり、雨宿りの軒先にありつけていた人たちも、個人として引き受けることになったのだ。(同 p.226 より)

 そうだな、と思う。

 私にとってこの『ピエタとトランジ』は実に当たり前の世界でした。

 私がこんなに毎日毎日殺人のドラマや小説ばかり読んでいるのは、こわいからです。

 私は今、「たまたまが雨が途切れた」ような状況にいるにすぎない。殺意の「雨宿り」をしているに過ぎない。でもひたひたと殺意を感じます。会ったこともない、会うこともない人から「死ね」と思われていることを。

 だからよく練習します。この状況だと私は一番先に死ぬな、とか映画を見ては思う。無力だから、これこれこういう状況になったら真っ先に始末されるだろうとか、わりとことこまかに想像しています。

 でも同時に、せっかく今生きてるから、かわいい人たちとともにできるところまで生き抜いてやれとも思ってる。

 そんな、間違いなく、今現在生きている人でなければ味わえない境地を優しく描く『ピエタとトランジ』、おすすめです!

 それでこの、勢いとスピードに満ちた名作を読むのになぜ一カ月もかかったか。それは風呂に水没させてしまったからです。あー、完全にどっぷりと浸からせてしまった! と衝撃を受けつつ、ジップロックに入れ冷凍庫で凍らせること一日くらい。その後広辞苑を重石代わりにのせて完全に乾くのを待つことしばらく。そんな過程をふんで私のもとにもどってきた文庫本の姿がこちらです!

読む分には、これで何とか

 何回も読んだ後みたいな見た目になっていますが、一回しか読んでいません。これは多分、読み返すこともあると思うので、だんだん見た目と実態が合致することになっていくでしょう。

 ところで、ピエタとトランジの二人組ですが、ホームズ&ワトソン、ポアロヘイスティングズのどっちに近いかと言うと、ホームズの方です。ホームズとワトソンは出会った瞬間から互いの存在に喜びを感じ、そのことを隠さず手に手を取って生きていきますが、ポアロヘイスティングズはそうじゃないです。ポアロはワトソンの存在をうらやましいと思う、というようなことをどこかで言っていました。ヘイスティングズはワトソンやピエタのように自身が探偵になるわけじゃないので、晩年のポアロはちょっと寂しかったようです。でも二人だって、人生最良の季節をともにした友だちです。『カーテン』ではそのことが伝えられてよかったです。

 なお、ポアロって書いたりポワロって書いたりヘイスティングスって書いたりヘイスティングズって書いたりしているのは参照元がドラマか小説かの違いです。いつもややこしてくすみません。

📚 おしまい 📚*1

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*1:12 月 13 日に一息に書いた感想文でしたが、12 月 14 日になって文章の係り受けなどにおかしいところを多数発見し、全体にトリートメントしてしまいました。