2016 年のことでした。テレビで「今年、十代から二十代に支持されたミュージシャンランキング」のようなものを放送していました。私はそのときすでに「はやっているミュージシャンの名前を知ってはいるが聞いたことはない」という状態にはなっており、自覚もしていました。しかし、その番組を見た私の反応はそれまでとひと味違いました。「トップ 3 に入るミュージシャンの名前がそもそも読めない」という状態だったのです。それで、「あとは若い人に任せました……」とうちひしがれ、音楽雑誌やランキングなどをチェックするのをやめたのです。「今、好きなものを追うので手一杯だし」というのもあって。実際、手一杯なのはほんとで、「ああ〜まだ前のを聞きこなしていないのにもう新しいのが出る〜」ということもままあり、私の音楽生活にさほど大きな変動はないように思えました。
ところが、変化はやってきました。雑誌を読まない。情報サイトを見ない。これだけで、あっという間に「ポップミュージックの文脈」というものがわからなくなったのです。道端で聞こえた音楽に興味をおぼえて「なんだろ、これ」と思ったときに、とっかかりがない。これはたぶん、あれのあれだからあれからたどればわかるはず、という勘が働かない。それで「はやりの曲は若い人に任せよう」ということになってしまう。
なるほど、習慣を変えるというのはよくよく考えてからでないといけないなとこのとき知ったのですが、後になってからでは元に戻せず、「テイラー・スウィフト」「エド・シーラン」クラスでないと目に入らない状況が続いており、もはや「私が知っているということは相当はやっているのだな」と思うに至りました。
話は変わりまして、2022 年のことです。
いえ、2017 年のことです。
いや、2019 年……やっぱり 2022 年でいいです。
2022 年に森戸知沙希さん、加賀楓さんと、二人もモーニング娘。およびハロー!プロジェクトを辞めてしまったのです。一年で二人いなくなって一人増えたらそれはもう別のグループです。私は「ちょっと! じゃあ私も辞める!」と虚空に向かって叫び、長らく浸かってきたハロプロ湖(はろぷろこ)から脱出しました。
2017 年嗣永桃子さん、2019 年和田彩花さんと見送ってきて、その最中にも「この営みは一体何なのだ」と思いつつ見てきて、加賀楓さんがやめまーす! ありがとうございました〜! とすがすがしく立ち去っていったのを潮にすっぱりと湖から上がり、さわやかな風を感じました。
上がってみると、「メンバーも音楽性もどんどん変わるグループを、よく長年見ていられたものだなあ」と自分でも不思議なほどです。好きな人がいて、その好きな人にふさわしい素晴らしい曲がいつかできるだろう、いつかリリースされるだろうと待ちわびていました。しかしついにそのときは来ませんでした。
そもそも、自分とハロプロの音楽性の違いを無視していました。振り返ると好きな曲が数えるほどしかない。私は音楽に対して不誠実でした。
おまけに私には「箱推し」というものがわからぬ。いわんや「事務所推し」においてをや。「箱」に次から次へと幼い人が入ってきては、ある程度の年齢になったら出ていくという運動を見せられ続けたあの日々、一体何だったのでしょう。
というわけで、湖からあがってみると「あそこにもぐっていたこと自体が不思議」としか言いようがないのですが、先日ふと、意外な影響を感じました。
若い人の会話についていけなくなっているのです。
平素より、ついていこうとも特にしていないのですが、それにしても大体何の話かわからない。
COVID-19 の関係で数年映画館に行かなかったこと、オリンピックがらみでむかついてテレビをほとんど見なくなったことなども関係しているとは思います。しかしここで明らかになったのは、ハロプロが私にとって貴重なメディアであったということです。以前、友だちに「雨子はほとんどの情報をハロプロから得ているんだね」と言われたことがありました。実際まったくその通りで、私は「はやりの食べ物」や「はやりのメイク」、「はやりの曲」をハロプロ経由で知っていました。そのときは無為としか思えなかった、メンバーのみなさんの SNS、ブログチェックだけが「今、はやっていること」にうっすら触れる機会だったのです。
これからどうなってしまうんだろう、私。
じゃ、また。
🌺 おわり 🌺