プール雨

幽霊について

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 『アストリッドとラファエル』にはかなりファンタジックな日本描写が出てきます。登場人物の知識の体系全体に疑義が生じるレベルで驚くような内容で印象深いのですが、それと同様のものがフェルディナント・フォン・シーラッハ『犯罪』にも出てきました。

 タナタ氏の邸はダーレム地区の閑静な通りに面していた。呼び鈴はなく、見えないセンサーが、禅寺にでも来たかのように重々しい銅鑼の音を響かせた。秘書は名刺を両手で持って差し出した。すでに家を訪問しているのだから今さらという気もしなくはなかったが、日本では名刺交換が習慣になっていることを思いだした。(フェルディナント・フォン・シーラッハ「タナタ氏の茶盌」『犯罪』p.52 より)

 禅寺で、銅鑼……?
 よく考えると最近私が海外の文物(ミステリに偏っている)で接する「日本」は「ヤクザと資産家がまざったもの」か「ヤクザと政治家がまざったもの」または「ヤクザとビジネスマンがまざったもの」そして「純ヤクザ」のうちのどれかなのですが、それを考えると『アストリッドとラファエル』の「日本」は「お茶・禅・シャイ・数字に強い」なので、個性的な表現なのかもしれないと思う。

 とかなんとか無理矢理飲み込もうとしたが、やはり定型はどこまで行っても定型なのでした。でも『アストリッドとラファエル』のは懐かしい定型ですね。ずーっと昔、どこかで流布した「日本」のイメージ。

 そんなわけでふと『アストリッドとラファエル』を第一話から見ようとしたら、何のことわりもなくうちのテレビが『ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密』をかけ始めました。

 私と雨夫さんからの、私と雨夫さんへのクリスマスプレゼントとしてテレビを買いました。NHKBSプレミアムがなくなって、前のテレビでは事実上、海外ドラマを見る方法がなくなってしまったためです。家電量販店で「これください。現金で」と勢いよく買いました。

 設置にきてくださった職人さんお二方は、たいへんに仲良く、うふふ、あはは、うふふと笑いながらさらさらと設置して、帰っていかれました。元のテレビを撤去したらほこりがぶわーと出てきて、私が涙ぐみながらそこを拭いていると、「みなさん、そうですよ! 冷蔵庫とテレビの裏はネ🌟」と慰めてくださいました。感謝します。私はそのあとテレビをネットにつなぎ、設定し、設定する段階で「グーグルアカウントのパスワードってみんな、おぼえてるもの? だってだって、ずっとログインしっぱなしなんだもの〜」とかごにゃごにゃいいつつ、無事、アマプラがテレビで見られるようになりました。

 してみると、新しいテレビが鮮やかすぎて、「いままで見たことのないものを見ている」という戸惑いに包まれることになるのでした。ドラマにも映画にも見えない、かといって現実とも思えないこの映像をいつかは受け入れられるでしょうか。それともちゃんと調べたら暗めに表示する方法があるのだろうか。なんか、モニターの背後からも手前からも照明が当たっている感じです。

 そしてそのやたらに光っている画面でとりあえず無軌道にアマプラで映画を見ているのですけど、今急に『ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密』が始まったのでついうっかり見てしまいました。

 ミステリの大家、ハーラン・スロンビーが死んだ。85 歳になったばかりだった。ハーランは専属の看護師マルタが帰った後 15 分ほどして階段を歩いているところを見られたのが最後で、おそらくは午前 0 時 15 分から午前 2 時までの間に亡くなっていただろうと推定される。自殺と見られるなか、探偵に依頼が入る。不審な点もある。容疑者は家族全員。史上最後の紳士探偵と呼ばれるブノワ・ブランはマルタを助手とし、捜査を始める。

 「映画は二回見るとよい」とよく言いますが。ほんとだなーと思いました。一代で財を成した富豪、富豪が建てた豪邸、その富豪に依存して暮らす子ども&孫達、意外な遺言、気難しい富豪がただひとり心を開く付き添いの看護師、飄々とした探偵……と、そんなクラシックな道具立てのミステリが、現代的な必然性をもってすっと立っていました。

 移民二世のマルタに対して「私たちが面倒を見るから」という遺族たち。マルタのことは気立てもよく働き者だから、「アメリカ人として認めてやってもいい」という態度をくずしません。移民を受け入れるかどうかを「議論」し、決める権限は自分たちにあると表現し続けます。でも自分たちだって元を辿れば移民です。ハーランは自分の富が家族を腐らせたことをわかっていました。富をかれらに分け与えてきたのは「支配したかったからなのかもしれない」と真実に向き合い、もう一度家族との関係をやり直し、かれらに自分の道を生きてほしいと願います。その矢先での死亡でした。無念ですが、希望はそのとき目の前にいたマルタとマルタの良心に託されました。すべてがおわり、ハーランのマグカップからお茶を飲み、さて、マルタはこれからどうするでしょうか。とてもわくわくするラストで、私はこの映画がやっぱり隅から隅まで好きだなあと思いました。変なじらしや引き延ばしがなくて、さっぱりしています。なにより、主人公のマルタが自分自身を裏切らないのがいいです。映画館で見たときひとつだけ気になったのは、彼女が嘘をつくと吐いてしまう体質で、何度か吐くシーンがあることで、これが劇場で見たときはちょっとつらかったです。でも、落ち着いて自分の家で見てみると、ちゃんと配慮されていました。「嘘をつくと吐いてしまう」というのは極端ではあるものの、ケネス・ブラナーポアロも「ものごとがあるべき状態になっていないと、気持ちがわるい」と言っていましたし、作為やごまかしがあったときに人びとが感じる「なんか変だな」という気持ちの延長線上にあることとして、納得できます。

 おすすめです!

 ローリングストーンズがラストに流れるのもよかった。

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  そして私はこの第二作目『ナイブズ・アウト:グラス・オニオン』は一体いつになったら見られるのでしょうか。まさかの Netflix 配信のみでその後劇場でちろっとでもかかる気配すらなく、見るためにはいきなり DVD を買わなければいけないのかとじりじりしています。第一作を映画館でかけたのだから、続編も映画館でやってほしかったです。

📺 おしまい 🎥