プール雨

幽霊について

私は何でもフィギュアスケートで喩えます

平素すでに労働などを通じて様々なゲームに参加させられておりまして、それなりに真剣に参加しているのですが、「もはやなぜそうなっているか成員のだれもわからないルール」などにぶちあたると、気性が短気にできているので「ばかばかしい」と反射的に思ってしまい、離脱しようとしたり、実際離脱したりしていることもあります。

だからわざわざ「ゲーム」と銘打っているものに興じたり、いわんやスポーツをしたり見たりすることはほとんどないのですけれども、フィギュアスケートはあるとき、つい、うっかり、はまってしまい、まあまあ真剣に拝見しております。

ここで「かなり真剣に」と一旦書いて、「まあまあ」と書き直したのは、気合いの入ったフィギュアスケート好きというのはそのためにロシア語、中国語、英語を学習し、すいすいと海外まで試合やショーを見に行くようなことをしますので、それに比べると朝鮮語は「파이팅!」、中国語は「加油!」、英語は「あいらぶゆあすけーてぃんぐ」、ロシア語は「トゥクタムィシェワ」しか言えず、国内の試合すらチケットが取れない私など「まあまあ」と言うのもおこがましいのです。

突然ですが、ここから本題に入ります。

私はよく「あ、事態がさっぱり理解できないなー」と思うことがあります。勤め人は一日に九〇件程度の新情報にさらされると言います(注:記憶で書いている、出典不明のいいかげんな発言)。それで考えると大体そのうち八〇件までは「さっぱりわからん」と思っていることになると思います。

一日に八〇回「よくわかんねえな」と思っている五〇がらみの人間はあわれですか?

いかにも、あわれでしょうなあ。

だがそんな私を世界は見捨てなかった。「フィギュアスケートで喩えれば何でもわかる」というアイデアをお授けくださった。

たまに「フィギュアスケートはルールが複雑すぎて、このままだとファンが離れていく」という心配を吐露されている現場に居合わせますが、そうですか?

フィギュアスケートのルールって、たとえば新体操やチアリーディングより複雑なんですか?

仮に、相対的にそうだとしても、私にとっては難しくもなければ複雑でもありません。

だって、私ジャッジでもなければ選手でもないし。

見るだけだから。

見るだけの私にとってフィギュアスケートのルールは至極かんたん。

要素点と全体点の総合で決まる。それだけ。

要素点、技術要素点は、ジャンプ、スピン、ステップシークエンス、コレオシークエンスなどに付く点数のことで、個々の技術要素にあらかじめ素点が決まっていて、それらが実施されたことにまず点数がつき、そこにそのできばえに応じて加点がつく仕組み。

これに対して、演技構成点と呼ばれる、プログラム全体につく点数はスケート技術がどうか、技術要素の間はどうか、音楽表現としてどうか、振り付けとしてどうか、といったことに関して審判員が判断して点数をつけます。

この、「素点の積み重ねと、全体に対する点数との合計で評価される」ところが、生理的に納得しやすいです。

要素の難易度に応じた評価、要素の仕上がり具合に応じた評価、そして全体の流れ方や完成度に応じた評価。

評価の観点が最も単純に考えても三つある、というのは演技をする方からすると、それだけチャンスが広がることになり、想定される演技スタイルは無限で、発想としては基礎的なことに習熟した後は自分の得意なことを探し、それを大事にしながら細部をおろそかにせず働いていくことになるわけで、かなり健全かつ公正、そして創造的な競技人生を送れる可能性が開かれています。

実際、ルールが変わってから競技レベルはぐいぐい上がっているわけで、ルール変更による指導方針の変更と充実が見てとれます。

もちろん、これは可能性の話で、実態としては選手がどんどん怪我をしてしまう状況がまだあり、競技の設計において若年層の健康をどう守るかという問題など、問題は山積しているのだと思います。

しかしここでひとりの「まあまあ」のファンが問題にできるのは「可能性」だけです。ルールから読み取れる可能性は、つまりこの競技からのメッセージです。ひとつのステップ、ひとつのターンから生まれる軌道が物語を生む、そして音楽が流れる、ということだけに特化したこのスポーツのおもしろさはそこにあります。

晩ごはんのメニューなども基本的にこの線で考えます。ジャンプ(主菜)やスピン(主菜その二)、ステップシークエンス(副菜&スープ)はもちろん華やかでそれ自体楽しめるものでなければなりません。しかし、それらを支える食器や、水、お茶、デザートそして食事中の会話という構成点も大事です。なにかひとつミス(ちょっとした言い争いなど)をしてもそこであきらめてはなりません。最後のレイバックスピン。レイバックスピンが明けた瞬間の動きと表情が音楽に合っていれば、そこまでのちょっとしたミスなど観客は忘れてくれます。ジャッジは忘れませんが、そんなことはいいのです。

突然ですが、こぶしファクトリーが解散します。

私が彼女たちはこれからいよいよ楽しみと書いてからたったの 260 日で解散発表となり、残念です。

これはフィギュアスケートに喩えると、スケーティングは素晴らしいが、なかなか高難度ジャンプをプログラムに組みこめなかった 18 歳の選手が、3S+3Lo と 2A+3T 込みの FS でジュニアの世界選手権に臨み、5 位に入り、「とても才能のある選手だ。これからもじっくりと競技に取り組み、よい演技を重ねていってほしい」と注目されて一カ月後に引退表明、今後はスケートとは別の道を歩みます、幸せなスケート人生でしたとコメントした……というようなことです。

あるいは、ジュニア世界選手権銅メダルをとった選手がシニアに上がった後、身長が年に 12 ㎝ ものびてしまい、ジャンプのバランスをくずし、スランプに陥ったが、二シーズンほどじっくりと調整に取り組み、全日本選手権でやっとクリーンな演技を見せ、会場中から喝采を浴びた……ら、引退を表明、という感じのことです。

この話をスケートもアイドルも知らない人に聞かせるのは何だしな、と思い、かような記述となりました。

あ、それから、一瞬かっとなってアイドルファンから引退しそうになったのですが、ハロプロなんてフィギュアスケートで言うと世界選手権の後半二グループみたいな世界の話で、フィギュアスケートの競技を行う人には小学生から大人までいて、それぞれに目標があり、オリンピアン(武道館)だけがスケーター(アイドル)ではないのだと思うことで耐えました。

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