私にとっての高橋幸宏は、大体こんな感じでした。
ああ、やだなあ、こわいなあ、こわいなあと恐怖におののいていた子ども時代、なにかを好きになれたらなあ、楽しいって思えたらなあと願っていたら、怯えているような表情のおじさんが、若いのによろよろとした風情でドラムをたたき、歌っていたのです。私はその小さな入り口を通して生きてきました。
そんなわけで、高橋幸宏の音楽はこどものときに好きになって、基本的にずっとそばにありました。その間何度か別れようとしてできませんでした。特に大きかったのは 90 年代の終わり頃で、数年ほど、意識的に聞かないように注意していたことがあります。好きだったはずの幸宏の歌が甘ったるく聞こえ、自分はもう好きになれないんだと思い込んで、持っていた CD を処分することに決めました。結局全部は手放せなくて、ライブ盤は手元に残したりして半端ではあったものの、当人には真面目な一大決心でした。
まあ、聞いていたんですけど。どうしても、聞かざるを得ないときというのがあって。
あの頃はテレビや雑誌を通して表現される、軽薄なのに薄暗い「ノリ」のようなもの全般に辟易していて、「私の高橋幸宏」はそれに巻き込まれたようなものだったかもしれません。
(昔は全然好きじゃなかったけど、今は好きなうた)
数年経って自分の過ちを認め、また買い戻し始めてしばらくすると、YMO の三人がじわじわ集まり始めていることがわかりました。
これは二つの点からとても嬉しいことでした。
一つ目は、その頃自分が「エレクトロニカ」と呼ばれるような音楽が好きで(今、久しぶりに「フォークトロニカ」という言葉を思い出し、完全に忘れていたことに衝撃を受けています)、その趣味性をもって YMO の三人と再合流できたことです。YMO は私にとって音楽的な起源のようなもので、そこを一旦離れてまた合流したときに「YMOだから」ではなく、「好きな曲だ」という理由で夢中になれたのが嬉しかった。
二つ目は、YMO の再々集結に、かれらの社会活動が寄与したこと、その経緯です。SKETCH SHOW、HAS、HASYMO そして YMO に至るゆったりとした流れの中に 2007 年の二つのチャリティーコンサート「Smile Together Project Special Live 2007*1」、「LIVE EARTH The Concert for a Climate in Crisis*2」があって、その後、気候変動についてメッセージを送るフェス*3を主催したり、脱原発のためのフェス*4に参加したりしていったことは、昔の高橋幸宏の言動からは考えられないことだっただけに、ほんとうに嬉しく、心強かったです。
あの時期にうまく再会できてよかったです。
その後また、私なりについたり離れたりしていましたが、高橋幸宏の音楽は私の人生を通じて流れていて、途中、切り離そうとして失敗したことも幾度かあるだけに、今年、2023 年 1 月 11 日に亡くなってしまったことは、言葉では言い表せないものがあります。
色々あったけど、「あんな風にもこんな風にも生きたくない」って言ったり「嘘をついたり、肩をだかれたり、泣いたりしたり」するだけじゃなくて、「Give me a cue.」って歌ってた人が「Get your mind right. I'm on your side.」なんて歌ってくれてほんとにうれしかったです。
できればたまには夢に出てきてほしいです。
以上です。
一カ月ほど傍若無人に何のことわりもなく意味不明なことを書き散らかし、ご心配おかけしました。
おわびにきれいな写真を貼って、うやむやにしたいと思います。
ではでは。