プール雨

幽霊について

診療所のウィルソン 2

前回

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 近所の小学生たちから「おじいさま」と呼ばれるようになるまでの半年くらいの間、地域ではその人は「新しい先生」とか「あの先生」と呼ばれていた。新しい先生は診療所にちょくちょくやってくる人たちの持病などはすぐ把握したようで、みんなわりと安心したようだった。おじさんたちは「青年」と呼んで、飲み会などに誘っていたが、その人は「酒もタバコもやらない」ということで話題だった。

 私はその人を「先生」と呼んでいた。

 あるとき、学校の授業で突き指をして、放っといてもよかったのだがなんだかずっと痛くて、気になって先生に見てもらった。先生は学校で怪我をしたのなら、所定の書類に記入して提出すれば治療費はカバーしてもらえるから、保健室で書類をもらっておいでと言った。ちょっと甲高い声で、「もらっておいで」と言われたのがおもしろくて笑ったら、「変なことで笑うんだなあ」と言われた。

 別の日、学校でもらった書類を渡しに行ったら、窓から先生が顔を出した。

 「指の調子はどう?」

 「もう平気です。診てもらうほどじゃなかったのかも」

 「うーん、でもああいう、大したことなく見えるものほど、さっさと診てもらった方がいいよ?」

 「そうなんですか? ものもらいとか?」

 「そう、ものもらいとか、口角炎とか」

 と言いながら先生は自分の口の脇を指さした。口角炎が出来ていた。私は笑いながら鞄をがそごそとかき混ぜて、なかから封筒入りの書類を出して先生に「ここから渡していいですか?」と差し出した。先生は「いいよ」と言って書類を受け取り、読んで「うん」と頷いてから「はい」と私に言った。私は「じゃ、さよなら」と言った。先生も「さよなら」と言った。

 若い先生になって、診療所に配達に行く私の仕事はなくなった。

 前の先生とちがって、うちに歩いて買い物に来るからだ。

 それがちょっとさみしい気もしていたが、先生のことは好きだった。