プール雨

幽霊について

夏休みが終わりました

 7 月 27 日に COVID-19 の症状が出て、28 日に陽性の診断がおり、29 日にゾコーバを処方してもらって、それ以来基本的に療養に努めていたら夏休みが終わりました。

 寝てたら終わった。

 前半二週間は熱っぽいんだけど汗は出なくて、暑いのか寒いのかわからず、後半の二週間はひたすら暑かったです。

 信じられないような豪雨にみまわれたり、雷がどんどこ落ちたり、夜になっても室内の温度が 30 度を切らないのが毎夜毎夜続き、おまけに湿度が夜になるにつれてあがったりして、しんどかったですねえ。「あ、急に暑くなった!」という瞬間を何度も味わいました。

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 と、終わったことのように表現して大丈夫でしょうか。

 いや、終わってほしい、夏。 

 五日くらい前から仕事にもどっているのですが、夏の支障が出ています。多分夏が悪いと思うんです。郵便事情が悪すぎる。レターパックですら週末、届きませんでした。「夏は郵便事情が(ますます)悪くなる」という構えでいた方がよさそうです。

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 昨夜、M・W・クレイヴン『ボタニストの殺人』(東野さやか訳)を読み終えました。刑事ワシントン・ポーのシリーズもこれで第 5 作目で、ポーのまわりに理想の職場環境がととのいつつあり、「第一部完」という感じでした。ひと嫌いのポーに友だちができて、同僚を頼れるようになり、そして「幸せになるのも悪いことじゃない」と思うに至った。そういう、スタートラインに着けました、という話で、すっごく楽しかったです。自分が幸せになることが想像できない、あるいは、幸せでいることを許せなかったポーという人が、それを自分に許しました、という。

 ポーは職場のチームを一人一人信頼していて、話し合いもばっちり成立します。証拠を集め、仮説を立て、その仮説に問題あり、ということを共有し、それぞれに仕事をして証拠を集め、また話し合って仮説を立て直す。その繰り返しに、たとえば地位に応じた配慮などが不要で、互いに口にした言葉は撤回したりなかったことにしたりする必要がなく、曲がりくねってはいるが、「向こう側がゴールだろう」という方向に向かっていっている。そうした「理想の職場環境」が描かれていて、読むのがすっごく楽だし、頭の中をじゃぶじゃぶ洗っているような爽快感と癒し効果があり、楽しい読書体験でした。

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 友だちはいいねえ、と思います。友だちは不思議ですねえ。私はたまたま、穏やかに満たしあえるような関係にある相手がまわりにいますので、そんな友だちを大切に、支え合って生きていきたいと思います。

 でも、そういう相手がいなくて、のちに「あの頃の雨子はガラスケースに入っていた」と言われるような時間を積み重ねたこともあります。私は特段人嫌いではないけど、めったに話し合える相手がいないんですよね。私を攻撃的だと感じて遠ざける人もたくさんいます。私の方から遠ざかることも多いです。自分の路がそこで止まっていたかもしれない、という想定はよくします。

 そんなことを言葉にしてまで思うのは『虎に翼』を見ているせいもあります。飢えや寂しさをかかえたまま大人になりつつあった星のどかという人が爆発して、一度は言わなければならなかったことを言って、泣いて、そして「のどか、何が食べたい?」と父親に言葉をかけられて、やっと、自分が何を求めているかを考える生活が始まったというところを目撃しました。しみじみしました。自分が何を求めているかわからなくて、それを考える手立ても言葉もみつからないまま寂しさといらだちだけが積み重なっていく。そこにぐさっと刺さってくる、まっすぐでがさつな寅子に、気が利く優未。のどかもまた、幸せという言葉を見失って、それを自分に関係のないこととして、そこである意味落ち着いてしまっていたのかもしれません。

 8 月 31 日の東京新聞朝刊に水木しげるのインタビューが再録されていました。その中に、印象的な箇所がありました。

 そう。(戦争に行っても自分は)変わらない。たまたま戦争に遭遇したというだけのことで。大方針は変わらないです。これこれこうすると優等生だと言われてもしないんです。

 悪い状態にしないわけです、自分を。自由な状態にしておく。

 「水木サン」(水木しげるは自分をこう呼びます)は「自由」の反対が「悪い」なんですね。「悪い状態」の反対が「善い状態」ではなく、「自由な状態」。世間からの評価は悪くても、自分の自由だけは守る。そうすると、自分から自分への評価は下がらない。これだけは貫く。

 8 月 1 日付朝日新聞加藤陽子が言っていた「『悪い制度に誠実に対応しすぎない』ことが大事で、やってしまえばいいんです」とも重なるものがあります。

 優等生的に、まわりに合わせることを「うまく立ち回る」と表現するのが標準的かもしれませんが、それは自分を見失うこととセットで、波風立てないことや、問題化しないことをよしとしていると、結局は制度の間違いにも気付かず、そこに順応してしまって、自分自身を悪い状態にしてしまう。そのうち、ほんとうは何を求めていたのか、自分の幸せがなんだったのかわからなくなって、大きな悪い仕組みの一部のようになってしまう。

 9 月 1 日は関東大震災があった日。そして、地震では生き延びたのに、官民一体で「日本」が起こしたヘイトクライムで大勢の朝鮮人、中国人が命を落としてしまった日です。あれから 101 年で、政府も都も史料の存在を知りながら黙殺する状況が続いています。こんな判断を続ける行政に合わせて歴史的事実を否認すること、それも自分を「悪い状態」にすることじゃないかなと思います。

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 というわけで、この夏は全然新しい音楽を聞いていませんでした。夏だったのに。あ、Red Velvet のミッドサマーの意匠を懲らした "Cosmic" だけはよく聞いていました。聞いていたというか、流れてきてましたね。聞き心地よかったです。

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🎐 おしまい 🐚