久しぶりの体調不良でした。
二十年くらい前、同じような状態になったことがあって、そのときは軽い吐き気とめまいが続いて、ちょこちょこ立っていられなくなる感じだったのですけど、病院では結局よくわからなかったのです。軽い胃炎があって、それを治したら解決すると期待したものの、治まらず、なんなのかな〜と思っているうちに二カ月くらいで回復。後になって浮上したのが眼精疲労からくる吐き気、めまいに、なにかアレルギー反応がくわわった状態で、胃の不調はメインではなかったように思われる……とかかりつけ医。
今朝、「あ、あのときと似た感じになっているな」と気付いたのでとりあえず一日寝てみることにしました。寝入って目が覚めるたびに「寝る前より気分よくなった」と思う、というのを繰り返し、午後五時、元気がむくむくと出てきました。
これは多分、アレルギー体質というのか、春と秋はなんとな〜く具合が悪くなるタイプの人ならご想像いただける不調かと思います。「なんか、体のどっかが炎症起こしてるな」という感じ。
そんな一日でしたが、合間合間に M・W・クレイヴンのポー&ティリーのシリーズを読んでいました。
四作目です。
国家犯罪対策庁重大犯罪分析課部長刑事、ワシントン・ポーは同課分析官のティリー・ブラッドショーと友だちです。二人は全力で協力し合って様々な事件の謎を解いてきました。今回はそこに FBI 捜査官のメロディ・リーと MI5 職員のハンナ・フィンチが加わって(時々ポーのお隣さんのヴィクトリア・ヒュームも)、がんばります。語り手はポーに焦点を合わせています。このポーという人が、同僚のティリーやメロディ・リー、ハンナ・フィンチに対してとても肯定的で、基本的に親しみと友情をもって接しているのがよいです。読んでいる間、主人公を疑うような気持ちになったり、脅されているような気持ちになったりするのはつらいので、今はこのあたたかいポーとティリーがまずいコーヒーを飲みながら資料と格闘し、会うべき人に会い、行くべき所に行く物語がここちよいです。
物語は導入部分からすでに楽しいです。なにが楽しいかというと、登場人物たちがお互いの名前を大事にすることです。フルネームを明らかにし(MI5 の人は偽名なのですが)、どう呼ばれたいか確認し合い、以後、相手の望む呼び方で呼ぶ。
「アラスターでかまわないよ、マチルダ。きみがオックスフォードにいたころ、われわれが引き抜きをはかるべく接触したと思うが?」
「二度あったわ、アラスター。それから、あたしのことはティリーと呼んで」
「そうしよう。きみのことはワシントンと呼んだほうがいいのかな、ポー部長刑事」ロックは訊いた。「それとも、堅苦しい呼び方をつづけるほうがいいかね?」
「彼はポーと呼ばれるのが好きよ」ブラッドショーは言った。「そうよね、ポー?」
「ポーでけっこうです」彼は答えた。
(M・W・クレイヴン『グレイラットの殺人』東野さやか訳 p.47 より)
この、固有名をもった人物たちが「私は……。……と呼んで」と名乗りを上げる場面が心地よいです。こうされると、読みながら、語り手とその登場人物との関係を考えて自分の位置を調整するようなめんどうな手続きがいらないし、なにより一人ひとりが自分の運命をもち、それが何か不明ながらも、「ほかのだれでもない、自分である」という事実を引き受けている姿が描かれることに感動するからです。
あと、どうしたわけかこんな場面に自分は燃え上がってしまう。
「あなたがポーね」彼女は言った。
彼女は質問として言ったのではなく、ポーは顔をしかめて必死に考えた。(中略)
ブラッドショーが先にひらいめいた。
「こんにちは、メロディ・リー特別捜査官。あたしはティリー・ブラッドショー。今年、電話で話したよね。フルーツティーはいかが?」
「いただくわ、スイーティー」
(同書 p.62 より)
大人たちが、仕事上で、会いたい相手に会えたときの興奮と喜びが静かに伝わってくるこの場面で「むっはーーー」となってしまいました。嬉しかったあ。
ポー&ティリーシリーズ、そんなわけで健康によいので、おすすめです!
ところで「グレイラット」の言葉で Mice Parede のことを思い出して調べたら、去年新譜が出ていてびっくりしました。ニュースはまめに追った方がいいですね。
ではでは、ぐない。
📚 おしまい 📚