プール雨

幽霊について

ハイクがおわって

はてな様より「ずっとブログ書いていませんが、お元気ですか」と生存確認をされました。

お元気じゃありません。

10 年くらい、来る日も来る日も書きじゃくってきたハイクが 3 月 27 日の午後 5 時に目の前で消えまして、泣きじゃくってしまい、翌朝、鼻血が出た上にほうれいせんが、この人生上ナンバーワンの深さで顔に刻まれ、「ああ、寂しいとか悲しいっていうのは健康に悪いのだな」と思いました。

ほんとは、ハイクのデータをこっちにインポートして、ブログタイトルも変えて、完全に web 上で生まれ変わってみよう、こんちくしょう、という気持ちでした。

でもそれもいつになるかわからないし(データをエクスポートして、それをエディタに読ませるために、エディタのマニュアルを読みつつ、イメージトレーニングしている段階です)、ただでさえハイク終了のお知らせがあってからのこの 4 カ月というもの、延々ハイクに注力して、こちらは放置状態だったので、そろそろ動かさないと書き方を忘れそうです。

ハイクはわりと初期のころから「過疎だ」「いつ終わってもおかしくない」と言われたり、スパムの襲来が始まってからはシステム自体不安定になったり、そんななか、人間が集まってやることですから、喧嘩もあったりして、いいことばかりではなかったです。終わると聞いて、ほっとした部分も実際あります。

でも、ハイクで私は個人的にいくつかすごく大きな恩恵を受けていまして、そのうちのひとつを今日はがんばって書いてみようと思います。

「雨子はガラスケースに入っている感じだ」と 25 歳くらいのとき人からいわれて、自分は自分なりにオープンなつもりでいたので驚きました。でも、47 歳の今振り返ってみると、35 歳くらいまでガラスケースに入っていたなと思います。

人と話すことに実はすごく抵抗があって、大事なことほど口にしてくなくて、その分、内面がすごく騒がしかった。いつも心の中は言葉でいっぱいで、自分で自分がうるさかったです。

それをハイク上で開いていったという感覚があります。言葉をぽろぽろとこぼしていって、あるとき、「あ、今、心の中、シーンとしているな」と思いました。それは自分にとってすごくほっとすることで、ほとんど初めてというくらいの深さで気持ちが落ち着きました。

ハイクで色々と日々のよしなしごとを書いていくうちに気づいたのは、以前の自分が「私の言葉は私が所有している」という感覚がどこかにあったんだなってことです。それを開陳して傷つけられるのが嫌だったんですね。

でも言葉はみんなの間にあるもので、私が書いたことは私が所有できるものではなく、他のだれかが書いた言葉とからみあって、私たちの間にある織物になっていくんだな、と、そんなことはあらかじめわかっていたつもりだったのに、実際目の前でそういうことが繰り広げられると、言語体系がまるごとじゃぶじゃぶと洗われていくような感じがしました。

私がファンになったハイカーのみなさんとお気に入りのお題群で作るアンテナは、なかなかいい感じでしたよ。

思想的にはいわゆる右派から左派までまんべんなくいて、文学、文芸がなきゃ生きていけないって人から虚構には興味ないんですって人までいて、お部屋がぴかぴかのミニマリストな方もいれば毎日「片付かない」って泣いている人、そして片付けるつもりなんかありませんって人も、健康な人も病気がちな人もとくに持病はないけど虚弱な人もいて、そんなみんなでよってたかってひとつの織物を編みました。そして編み物は一枚だけではなくて、千枚くらいあったんでしょうか、よその宇宙も感じつつ、毎日毎日書いていました。

言葉を鍛える機会をありがとうございました。

はてなハイクというサーヴィスには様々な可能性があったと思いますが、いろんな失敗もあったし、残念ながらあそこで終了していまいました。

でも、悪くなかったです。

ありがとうございました。

野に放たれたハイカーの活躍にご期待ください。

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