そのとき、私は電車内に立っていて、左手で座席端のポールをつかみ、右手で本を持っていました。目は本の上、文字に向いていますから、ドアからふぁーと入ってきた人々の様子は見ていなかったのですけれども、視界の隅に女の子をだっこしているお父さんらしき影が映りましたので、「このポール位置を譲るべきだろうか」と思いそちらに目を移すと、それは「女の子をだっこしているお父さん」ではなく、「こわれるほどかたく抱き合っている若い男女」だったのです。
朝井リョウ「こわれるほど人を抱きしめたこと、あります?」
小出祐介「それは……(苦)……ないかなあ……(辛)」
朝井「でしょう!?」
2016 年 10 月 19 日放送「真夜中のニャーゴ」より
というやりとり思い出してしまうくらい、かたく抱きしめあっていました。しかし、私はそのとき手にしていた本の「武力に親切で勝つ」というフレーズが気になって気になってしょうがなかったので、彼と彼女が醸す何かの影響をさっと受け流して視線を本に戻そうとした。ところがそのとき、私の前に立っていた男性が相当ぎょっとして、二人組の方をがっと見てはショックで目をそらし、またがっと見る……を繰り返しているのが目に入ってしまいました。二人組はまもなくちゅっちゅし始め、「車内はたいへんなことになったぞ」と私は思いました。
ちゅっちゅっ
↓
チラッ、ぎょっ、がーん
↓
「無邪気すぎて狼と唸り合う」
↓
ちゅっちゅっ
↓
チラッ、ぎょっ、がーん
↓
「殴る以外はただの旅行」
↓
ちゅっちゅっ
↓
チラッ、ぎょっ、がーん
↓
「自殺者を柿に例える」
三すくみ。
仕事帰り、学校帰りの人々でごった返す車内に突如発生した異空間。
この異空間の一端を支えた異常な本がこれです。
19 世紀のニポン。 大砲で脅されてビジネスに乗り出さねばならんようになった、そのどさくさにまぎれて革命的なものが起こってしまい出現したのは「無秩序」であった。 拠って立つものがなくなり行き惑っていた明治人はとりあえず娯楽小説を求めた。娯楽でもなきゃやってられるか。だが書き手がいなかった。だって書き言葉のスタイル自体激変しちゃったんだもん。ならば俺が書こういやここは私がと無名の作家たちが奮闘に奮闘を重ね耕した日本語による娯楽小説の世界。我々は今もその畑にいるのです。
っていう感じのお話なんですが、もんのすごい、おもしろかったです。
ヒーローの武器として刀がリアルでなくなった後、冒険譚の主人公達はいかにして新たな、そしてびっくりするような武器を得ていったか、その話がこれほどわくわくするとは。
『坊ちゃん』のような作品が受け入れられる土壌は、無名の作家によって耕されていたのである。彼らの平々凡々な作品群は、徐々に現代人ヒーローが確立するための材料を揃えていく。これは現代人のヒーローのショボさを克服するため、必要な作業だった。そんな活動を経て、やがて彼らは(重大なネタバレのため、数字伏せますー引用者)という武器を発見することになる。 (舞ボコ、p.216)
あー、おもしろかった!
この本自体が冒険小説のようで、わくわくしながら読みました。
この視点を得た私は今や、多少、おもしろくない小説を読んでも、なにひとつおもしろくない映画を見ても、「この失敗作が耕したところにいつか傑作が生まれるかもしれんのじゃ」と大きな構えでいられることでしょう。
ちょっと残念なのが、(初版本の現段階では)誤記がちょこっとあること。
注がたっぷりついていて、参考文献も充実していて、本文中にも多くの図版や資料が載っていて、読者に優しい本です。そちらの校正校閲が大変で、本文のちょっとした誤字が残ってしまったという感じでしょうか。
「世渡りベタなであった(p.97)」は書き直しの過程で残ってしまったのだろうし、「見い出す(p.265)」は「見いだす」と書くか「見出す」と書くか迷っていて残っちゃったんじゃないかなと想像しながら読みました。物外不遷のルビが二種類あるのとかも、ルビの作業で疲れてくると「あれっ、初出ここだっけ?」みたいになってくるので、人ごとじゃなかったです。版を重ねていかれるよう、ハンドパワーを送ります。
でも、そんなところにも、初めての著作を一所懸命書いていく著者と、献身的な編集者のひゃ〜〜〜という作業の跡が見えるようで、また、内容とも平仄が合っているようで、よかったです。
おすすめです!
「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本
- 作者: 山下泰平
- 出版社/メーカー: 柏書房
- 発売日: 2019/04/26
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