プール雨

幽霊について

高畑版『赤毛のアン』第 46 章「マシュウの愛」

 昨夜は『赤毛のアン』第 46 章「マシュウの愛」を拝見しました。月曜日に放送されたものですが、勇気が出なくて昨日まで見られませんでした。
 この回は原作第 36 章「栄光と夢」の終盤、集英社文庫で言うとわずか 4 頁弱に相当します。クィーンでの生活を終えたアンが奨学金を得て大学に行くまでの夢にあふれた夏休みの始まり。朝、目を覚ますと天井にりんごの木の影が映っています。美しいです。アンは今では小さくなってしまったその部屋の中でのびのびと起き上がり、窓を開け、美しいアボンリーの朝を心ゆくまで眺めます。そして、思い出の多い村を歩き、一歩一歩考え、ミセス・アランに、自分は大学に行かずこの村に残ってマリラとマシュウを助けるべきではないかと悩んでいることを打ち明けます。このときのミセス・アランの返答は、原作にはないのですが、確かに、この女性が言うべき場面で言うべきことを、そして彼女自身にふさわしいことを言っているなあと感じました。
 この後、アンはマシュウに自分が男の子だったらよかったのにとどうしても考えてしまうの、と打ち明けます。原作では「私が男の子だったらよかったのにって思うわ」ですが、高畑版では「どうしても」の一言が付け加えられています。これは直前のミセス・アランの、悩みがまったくなくなってしまうことはないのよ、という言葉を受けての変化だと思います。悩むことは悪いことじゃない、どうしようもないことで、その悩みを抱えながらやっていくしかないのだ、と言われ、アンはマシュウにそのどうしようもない悩みを打ち明ける勇気を得たのだと思います。
 アンにしても、マシュウやマリラが自分を愛し、男の子だったらよかったなんて思っていないことは十分分かっているのに、どうしても「自分が男の子だったら」と悩んでしまうわけで、それはマリラたちを信じていないということにも繋がるから、今まで口にできなかったのだろうとなと思います。
 このアンに対するマシュウの返答は、何度聞いても予期を超えるもので、私はかつて自分が男の子だったらよかったのにとずっと悩んでいた一人の女の子として、震えてしまうのでした。