プール雨

幽霊について

あきらめが悪い

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見てしまった!

 アメリカで 2012 年から、日本で 2013 年から放送され、全 7 シーズン、154 話で見事 2019 年の夏に完結した『エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY』の第 6 シーズンまで拝見しました。

 なぜそんな半端なことになっているかというと、うちのテレビが海外ドラマ視聴用にアップデートされていないからです。

 私はまず『エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY』を、2015 年、テレビ東京のお昼の番組で第 1 シーズンのみ見て、大好きになりました。ホームズもので、舞台がニューヨークで、ワトソンが女性とくればキワモノかなあとまったく期待せず見たら、これがもうなにがどうしたわからないのですが、心が震えました。でも、日本の地上波とBSしかメディアのない私には、待てど暮らせど次のシーズンの放送が訪れないわけです。それで第 2 シーズンの地上波放送を待ちながらレンタルショップに行ったら第 4 シーズンしかなく、「そうは言っても『ホームズ』ものなのだから、いきなり第 4 シーズン見てもだいじょうぶでしょ」と借りたらさっぱりわけがわからず結局しびれを切らして DVD を買い……とにかく、現代人としては驚くような苦労をしてここまでたどりつきました。

 このシャーロック・ホームズは麻薬に溺れたロンドンでの生活から立ちなおるため、ニューヨークで警察の顧問をしつつ、断薬中。ジョーン・ワトソンは彼の父親に雇われたシャーロックの付き添いで、社会復帰をサポートする役目です。

 この二人が、一貫してお互いから目をそらさないのがすごいです。恋愛だとか友情だとかそういった言葉でくくれる関係に至る以前あるいは以後の、同じくらいの強さの者同士がばーんと出会って、にらみ合っている感じがおもしろい。さぐり合っているわけでも、見つめ合っているわけでもなく、ただ、目をそらさないのです。

 新鮮だと思いました。

 この世でただ一人のシャーロック・ホームズと、この世でただ一人のジョーン・ワトソンが出会って、それぞれに立ち直ろうと苦闘中だった二人が最初はただそばにいて、一緒に事件を解決して、サポート関係からパートナーになり、「この二人」としか言いようのない関係になります。

 第 6 シーズンではジョーンが養子を取ることを検討しています。彼女は弁護士を通じて、里親になるべく手続きを進めます。シャーロックには、子育ては自分だけの問題だから、あなたを巻き込むつもりはないと言いますが、ある日、シャーロックはこれに対して次のように答えます。

Look, I've never felt any pressure from you that I co-parent.

But your idea that I take no responsibility for raising your child, It's naive.

It's not that I think you're not capable of raising a child on your own, of course you are, But short of us dissolving our partnership, I'm not capable of not being involved, not as the child's father but as it's mother's friend.

I mean, I'd lay down my life for you. So if you succeed in adoping a child, I'd lay down my life for him or her. It's …… It's as simple as that.

 

聞いて。僕は君から子育てに関して、一度たりともプレッシャーとか感じたことはないよ。

だけど、君の子育てに、僕が全然責任を負わなくて済むってその考え、それは甘いと思う。

君に子育てをする能力がないとは思わないよ、もちろん、君はできるさ。そうじゃなくて、僕らのこの関係を解消しないんだったら、僕は子育てに参加せざるをえないと思う。父親としてじゃなく、母親の友人として。

つまり、僕は人生を君に捧げるんだ。だから、もし君が養子を迎えられたら、僕はその子にも人生を捧げることになると思う。

単純なことだよ。

 

(#13 「優しい殺し屋」より)

  単純なことだよ、ワトソン。

 と、ホームズは言った。

 "your idea that I take no responsibility for raising your child, It's naive." の部分は以前にワトソンが言った "I would not expect you to co-parent or anything." に対する返答になっています。彼女が "would not" と言ったため、彼は "I'm not capable of not being involved"  と二回も否定辞を重ねなければなりませんでした。この箇所に否定辞が多いのは、ワトソンが「あなたをまきこまない」「あなたに手伝ってもらおうとは思っていない」と否定辞を使って表現したからです。何を求めているかではなく、何を求めていないかを重ねて語るなんて、彼女らしくないことです。でもそれだけ、子育てが未知のことであり、彼女にも自分がこの先どういう道を行くかわからないということなのでしょう。シャーロックは、その言葉を受けて、もう一度、否定してやります。「僕たちはパートナーなんだから、当然僕にも責任が生じる、母親の友人として」といきなり言うのではなく、「僕を子育てに巻き込まないと君は言った」が、「ぼくにはそれは無理だと思う」と。その手続きを律儀に踏んだ上で "I mean, I'd lay down my life for you." とストレートに伝えるのです。

 この正確さがシャーロックらしいです。

 シャーロックとジョーンはそれぞれに、すばらしい記憶力や専門知識がありますが、実際の捜査はとても地道で、どちらかというとその粘り強さが特徴です。ちょっとした違和感を見逃さず、納得が行くまで調べ抜く、それが二人のやり方で、シリーズを通して、シャーロックとジョーンが大量の資料を相手に夜通し、時には何日も格闘し、その中から事件との関連性のある情報をすくい上げる姿が繰り返し描かれてきました。

 情報に対して、律儀であきらめの悪い二人は、納得の行かないことをそのままにしておかないし、人間の尊厳を決して諦めません。

 これは、あきらめの悪い二人の物語だったのです。

 妙にわかりやすい、型通りのお話に事件が収まりかけたときこそ、彼らは直感します。そのように、話をつくった人間がいるはずだと。そして、まわりがもう事件は解決したと諦めた後も捜査を続け、真相を明るみに出します。

 二人で、散らかすだけ散らかし、発見し、明らかにし、片付ける。その繰り返しの中で、時々癒やすこともあるのが『エレメンタリー』です。

 『エレメンタリー』のいいところのひとつは、「癒やす」という営みが女性のジョーンにだけ求められているのではなく、男性のシャーロックも、ジョーンのために、みんなのために、癒しを与えるところです。グレッグソン警部の娘がアルコール中毒だという悩みを最初に打ち明けられたのはジョーンですが、警部の背中をそっと押したのはシャーロックでしたし、ジョーンが顔を怪我したとき、薬草を塗ってやったのもシャーロックでした。

 型にはまった表現は気楽ですが、かすかに絶望的です。「なんだ、やっぱりそうか」と思わずにいられません。『エレメンタリー』は型にはまらず、それでいてあたたかな物語を、100 話をこえる長丁場で作りだした変わり種だと思います。

 「あきらめが悪い」。生きていく上で、律儀なのもいいし、誠実なのはもちろんすばらしい。でも、この期に及んで正気を維持していくには、あきらめの悪さこそが頼りかもしれません。もしかしたら、希望の新しい名前が「あきらめの悪さ」かもしれないなと思うほどです。

 ところで、シーズン 6 でほぼ、このドラマにあった緊張は解消されたように思うのですが、もう 1 シーズンあるのですよね? どうなるんだろう! 私それ、どうやって見たらいいんでしょうか。