プール雨

幽霊について

『テイキング・ライブス』反省会

(なるべくぼかして書くつもりですが、結末や、重要な人間関係に触れている可能性があります。この映画はネタバレするといよいよおもしろくないので、あらかじめ謝罪しておきます)

テイキング・ライブス(字幕版)

テイキング・ライブス(字幕版)

  • 発売日: 2015/03/15
  • メディア: Prime Video
 

駅。旅立つ人々のなかに男はいた。ギターをかき鳴らす、傍若無人な男。そして、慌ててチケットを購入しながらその男をちらりと見る者がいた。偶然、バスで男はそいつのとなりに座る。後ろにうるさい奴がいてさ、と言って。そいつは男の粗暴さにびくびくしながらも、話をよく聞いてやり、成り行きでレンタカーを借り、二人で行き先を目指すことになる。

19 年後。死体が出、警察署は騒然としていた。署では連続殺人、しかも猟奇的な事件ととらえ、FBI に協力を要請する。捜査官が来る予定の日、「死んだはずの息子を見た」という女性が現れた。彼女は「息子は 19 年前に死んだの。でも生きていた。間違えようがないわ、息子よ。あの子はとても危険なの」と震えながら訴えた。

  午後のロードショーでまた『テイキング・ライブス』がかかりましたので、拝見しておりましたら、下記のような書き込みが Twitter にあり、驚きました。  

 ちょっと解説しますと、午後のロードショーでは、残り 10 分くらいのところで無情にもジャパネットの CM が入るのが習わしになっていまして、これが以前から物議をかもしています。おもしろい映画だとジャパネットに対する憎しみが増しますし、つまらない映画ならつまらないなりに、「変なタイミングでCM入れるな」と文句を言われるかわいそうなジャパネットです。今日はアンジェリーナ・ジョリーがずんどこに突き落とされたタイミングで蒲団乾燥機を売っておられました。

 ですから、「ジャパネット明け」というとほんとのラストのラスト部分です。そこだけ記憶があると dadako さんはおっしゃいます。

 それなりに特殊な体験だと思うのですが、わかります。これで見るの、三度目なのにもかかわらず、冒頭で「あれ? これ、『テイキング・ライブス』?」と不安になり、まんなか辺はぼんやりし、ラストで「……このシーンだけ細部まで憶えてる!」と私も思ったのです。

 というか、「このイーサン・ホーク、『テイキング・ライブス』だったのか。別の映画だと思ってた」というショットの連続で、とっても不思議な数分間を味わいました。

 この映画は冒頭の雰囲気がちょっとおもしろく、どっちに向かうかわからない感じで始まって、テンポよくドラマが展開し、はっとしたところでばさっと断ち切られて「現在」となります。この冒頭の「ちょっといい感じ」とラストの「突然のすっきり」はまったく雰囲気が違っていて、とても同じ映画だとは思えません。そして、この「ちょっといい感じ」と「突然のすっきり」をつなぐ真ん中がとてもぼんやりしているのです。

 なんでぼんやりするかというと、犯人、被害者(死んでいる)、警察、FBI捜査官の誰にも感情移入させないつくりになっているからです。

 犯人は他人の命だけでなくその人生をまるごと盗むということを短いサイクルで繰り返しておきながら一度も捕まったことがないというスーパー犯人なので、感情移入できません。どうやってやりおおせているのかも、いまいちわかんないし。

 被害者のことはあまり具体的に描かれないから感情移入できません。

 FBI 捜査官は、捜査手法もまわりからの扱われ方も型にはまっているので感情移入できない。「うーん」と思いながらずっと見ることになります。

 地元警察の、FBI 捜査官を手配する上官はそれ以外特に何もしないので感情移入もへったくれもないし、刑事さんたちも外部の捜査官に対する敵愾心の向け方が型にはまっていて感情移入できない。

 この話は、犯人に感情移入させないと盛り上がらないのではないかなあと思います。ふつうに働いて暮らせている犯人の「日常」がちょっとした油断からほころび始め、観客はこの主人公がとんでもない悪人だとわかっているのにはらはらして「逃げて、逃げて!」と思ってしまう。そして、一旦はうまく逃げおおせてほっとしていたら、一年後、思いがけないところから捜査の手がのび……みたいな感じだったらおもしろかった。

 正確に言うと、感情移入なんかはしなくてもいいんですけど、映画という海を渡るにあたっての「乗る舟」みたいなものは必要だと思うのです。この話だったら、それは犯人しかないんじゃないかと。

 地元警察の、FBIによる犯罪プロファイルに対して向ける視線が単に嫉妬めいたものだけというのも違うんじゃないかと思います。映画のなかの話ですけど、捜査官は統計や行動心理学などの知見に基づいて、「推理」し、犯人像を話すのですが、地道に具体的な証拠、証言を積み重ねて、そして結論にたどり着くという警察の捜査手法とは折り合わないわけで、そういうところで刑事さんたちが NO と言ったり、FBI 捜査官もそこに耳を傾けたり、といった地道さがあってもよかったのではないでしょうか。

 今やるなら、犯人はポール・ダノで、FBI からの捜査協力はもっと地味な感じで進んでいって、ラストで「そんな地道なことをずっとしていたのか!」と驚く、という展開を希望いたします。