プール雨

幽霊について

明日から夏休みなんです。それも長いの。

 いかんともしがたい疲労を感じまして、しばらく仕事を休むことにしました。

つかれた

 なんかもうほんとに疲れちゃったんです。

 やれることを探して自分なりにせっせとがんばってきたけど、何年か前にこの仕事、自分の単価がもう上がらないことがわかってしまったわけなのです。

 そこに来てインボイスでしょう。私のように単価を上げられない事業者にとっては実質賃下げなわけで、「やってらんねえな、どんどん無給に近づくじゃん」という気持ちになりました。

 今回、大々的に「しばらく休む」宣言をしたことで、なし崩し的に廃業になってしまうかもしれません。

 それでもいいかなという気持ちです。

 疲れてしまった理由は単価以外にもう一つあって、これが実際のところ、90年代から続いた政治の動きによる、教育出版界の右傾化です。全体的に右傾しているわけじゃなくて、思わぬところに商売で右翼やってる感じのところとかが出てきて、「うわあ、○○、お前もか!」ということがあるのです。正確に言うと、教科書の世界に右派の政治運動がからんできたのが 90 年代で、その後しっかりと各地にそれが根をおろし、ついに文科省から「教育勅語、いいよねー」発言が出てしまうまでになりました。花開いてます。つまりある意味、私が働いた 30 年弱はまるまる、そうした右派の活動に対する、非常にみみっちい抵抗の連続だったのです。

 徒労、無力という言葉との闘いでもありました。

 たとえばある会社のトップに日本会議関連の人が就任したとします。私は末端の事業者なので、最初は「でも自分はやれることをやっていくしかない」とか思ってます。でもそんなの甘くて、わりとあっという間に末端までわけのわからないマニュアルでがんじがらめになってしまうのです。

 一番困ったのは、「日本に固有の純粋な伝統文化」について書け、みたいなオファーです。あるいはそういうのを書いたから、表に出せるようにトリートメントしてというオファー。

 これがほんとにしつこい。

 ねばりづよい。

 おまけに外務省、文化庁文科省あげて運動してますから、公的におすみつきもあるし。いくら「事実と違う」「非論理的」「差別的」「不快表現である」といったことをあれこれ史料・資料をつけて言っても、絶対に「純粋」「固有」「伝統」の組合せで作文してくる。

 でも「純粋な」って言っている時点で歴史史料や事実からは遠く離れてしまっているわけで、数行読むだけで「校閲料とは別に慰謝料をいただきたい!!」という気持ちになるのです。穏当な文言が続いても最後でどんがらがっしゃーんみたいのがあって、そこを「カットした方がよいのでは?」と言ったとしても、向こうがほんとに言いたいのはそこだけ、みたいな。

 これがねー昨日今日の話じゃないのですよ。

 もう、ほんとにかなわない。

 自分の妄想の方に現実を合わせようとする人にはほんと、かなわない。おまけに権力やカルト宗教の後ろ盾もあるのですから。束で来るから。こっちは孤独な事業者なのに。

 教育とか言葉とか歴史とか生活とか、人間が生きていくうえで避けて通れないところに、なぜあの人たちは専門家でもないのに首をつっこみますか? 首をつっこむなら勉強してからにしてほしいんですよ。でも絶対勉強しないのだもの。

 そんなわけで、「政治の話はやめて」って言われましても、向こうが手をつっこんでくるのです。私の働き盛りはぼろぼろです。

 もう、ほんと参りました。

 ヘタレの私はこのままでは早晩「死にたい」とか言い出すに決まっていますので、一旦ひっこんで体制&態勢を整えます。そして何をするかというと、

  • 積ん読を解消する
  • あれとこれとそれを勉強する
  • 絵を描く
  • 台所と洗面所に大鉈を振るい、快適な空間をつくる
  • ストレッチと筋トレをして安定的な骨格筋率と生命維持に必要なだけの体脂肪率を手にする

と、まあ、こんなところかと思います。

 いつも通りじゃないかって?

 いや!!

 今度という今度は「その条件でしたらぜひやらせていただきたいわ」という気持ちになるまで働きません、やりたくなるまでは。

最近咲き乱れてる黄色いの

ちょっとホラーっぽい、かっこいいの

そうか、もう君の季節か

 ではでは、「小人閑居してとんでもないことをしでかす」の気持ちで行きたいと思います。

 

🎐 おしまい 🐚