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私の現場

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 よんばば(id:yonnbaba)さんの日記を枕にお借りします。

 上記の、ある「出版に携わっている方」が講座で校正のことを尋ねられ「今は原則間違いと思っても指摘しません」とお答えになったという件について、「こんなことを私が言われたら、読者として不安になるなあ」と思いました。

 私は出版の世界の末端も末端にいて、校正校閲時々執筆を担当しているのですが、教育関係なので、間違いがスルーされるということはありません。大体三校くらいまでは取って確認して、そこまでしてもまだ朱が入って(「朱が入る」というのは「訂正が入る」という意味です)、編集さん真っ青というどたばたぶりです。

 一度、初校校正を担当できなくて、再校で入って真っ赤にしたら、「これ、今週校了なんですよ……」と編集さんに言われて二人で青くなったということがありました。「……がんばってください!」としか言いようがありませんでした。

 そんなわけで著名作家のものや、雑誌などの校正校閲がどうなっているかは別世界なので、「今は原則間違いと思っても指摘しません」というコメントの状況が今ひとつ想像できないのですが、ひとつ、思い出したことがあります。以前、ある芥川賞受賞作家が、編集さんから「編集が作家を育てるようなことはもうできないから(勝手に勉強して)」というようなことを言われたと耳にしました。一昔前なら、編集さんは出版社の社員で、拠って立つ確固とした足場があり、そこで作家あるいは本と集中的に組み合い、時間も資金もたっぷり投入して、ヒット作や名作が生まれていったのだと思います。でも今は一口に「編集者」と言っても、出版社の社員、編集プロダクションの社員、契約社員、アルバイト、フリーと立場がばらばらです。編集プロダクションで本を作る場合は、版元の企画・意向から逸れることはできないので、納得のいかない編集業務も生じてきます。そしてその編集者と組む校正・校閲家も立場が様々で、立場が様々ということは待遇も様々、責任も様々ということになります。

 理想をいえば、著者、編集・校正・校閲、デザイナー、印刷所の、そのすべての段階で全員がああだこうだ言って、ゲラを真っ赤にする/テキストデータをコメントだらけにしてテキストを鍛えるのが、本作りなのだと思います。

 それが出版の標準じゃなくなっていくとしたら、心細いし、こわいです。

 私は主に一人の編集さんと組んでいて、その編集さんから二人の外部校正に校正が出され、その結果を編集さん自らも校正・校閲業務をしながら集約し、印刷所/デザイナーに戻して、印刷所でも校正業務が入るというスタンダードな業務フローの中にいるので、安心して働いています。

 ちなみにその編集さんは、誤植を瞬時に発見する特殊な目の持ち主です。「二」と「ニ」とか「日」と「曰」とか。うらやましい。

 著名な執筆者で、校正を全然受け入れない人もいらっしゃるそうで、そういう人の本はそういう感じに仕上がっています。恩師は「俺は校正さんの意見は八割方受け入れるね!」となぜかかっこよさげに言っていましたが、私も書くときは大体、編集さんと校正さんの言いなりになります。「すいません、すいません、間違えてしまいました。なぜ間違えたかというと……」といったコメントつきで。執筆者が間違えた理由を明らかにすると、編集さんはとても安心されるようですので、みなさんもそうされてみては。

 

📝 おしまい 💻