プール雨

幽霊について

あなたの「僕はただ信じていたくて何もこわくないふりをしていた」はどこから?


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  この曲の歌詞は Perfume としてはちょっとめずらしいくらいにすごく「現在」っぽくて、人々が日々味わっている取り返しつかなさややりきれない気分をこんな風に洗練されたものとして描いてくれるなんてさすがだなあ、という気持ちと、Perfume ですら「取り返しがつかない」ということを歌うときがくるなんて、という気持ちと、もろもろです。

「僕はただ信じていたくて何もこわくないふりをしていた」という歌声に、いろんなことを思い出します。

 東京が夏季オリンピック開催地に決定したとき(2013 年 9 月 7 日)、「これはたいへんなことになったのだ」と怖くなりはしたものの、「でもまあ、あと 7 年あるし、オリンピック開催するんだからバリアフリーも進めるだろうし、政治家も不穏当な発言をがまんするだろう」と、無理矢理考えていました。

 アベノミクス的なものが始まったとき(2012 年 12 月 26 日、第二次安倍内閣が発足)、「円、紙くずになってしまうのでは」と恐怖をおぼえたものの、「第一次のときも短命だったし、自民党内の自浄作用もあるだろうし、こんな、カルトにかかわりの深い人が安定的な政権運営なんてできないだろう」と、無理矢理考えていました。

 2007 年 9 月 12 日に安倍晋三が突然辞任を表明したときは、友だちと会っていました。カフェで食事中にお店のモニターに急にその文字が流れてびっくりしたのでした。教育基本法の改悪、閣僚の暴言等が重なり、毎日毎日うんざりしていましたが、このとき「これで一息つける」などあまっちょろいことを考えていました。すでに 2006 年、教育基本法が改正されていて、愛国心を「道徳」教科で扱う現在の運用に道筋をつけられていました。でもそのときは「なんてひどいことをするのだ」と思いつつも、まさかほんとにそんな運用になってしまうとまでは想定できていませんでした。

 たとえば、その 2007 年 9 月 12 日に一緒にいた友だちとはその後絶交してしまったのですが、そのずっと前から彼女とは喧嘩ばかりしていました。2003 年 3 月 20 日、米国が主体となって始めたイラクに対する軍事攻撃をその友だちは絶賛していて、私には不可解でした。特に、翌年 2004 年に起きた人質事件に対する、日本国内からのバッシングに対して彼女が親和的な反応をし、私がそれに拒否感を示したせいで、「雨子は愛国心がないんじゃないか、日本というものをどう考えているんだ」と詰め寄られたときは恐怖を感じました。よく考えるとそういうことはよくあったのですけど、その度に、縁あって友だちになったのに、思想信条が違うくらいで喧嘩なんかしていられないと考え直していました。でも私はほんとは、彼女個人に恐怖していたのでははく、彼女が属している「常識的な」社会に恐怖していたのです。そのことを、もっと早い時期に考えるべきでした。

 思い返せば 1996 年に「新しい歴史教科書をつくる会」が創立されたとき、ほんとうはとても怖かった。でも、敗戦とその後の人々の平和構築への努力を否定し、自分たちに都合のいい新たな歴史に「修正」するという考え方が、広く人々に受け入れられるとはとても思えなかった。憲法をもって国際社会に復帰し、第一次世界大戦の戦後処理と比較すると相当の温情でもって迎え入れられた歴史的な事実を否定するということは、もう一度孤立の道を歩むことだし、経済や文化の分野でこれほど他国と協調している現状では今更そんなことはできないはずだと思い込もうとしていました。でも、つくる会が広めた歴史修正主義は政治家や官僚の間にしっかり根を下ろしてしまい、今やつくる会などの特別な草の根運動が必要な時期は終わりました。

 あの時期、1996 年に至る 90 年代初期といえば、サブカルの領域で政治的なふるまいをする男性作家が人気を得始めていた時期で、私はやっぱり「こんなこと、局所的なブームでおわる」と思い込もうとしていました。でも、先述の友だちも、大学の先輩も、小林よしのりが好きで、目を輝かせて「おもしろいよ!」と言っていたのです。そのとき、不安を感じながら、でも、だからといっていずれ彼ら彼女らとコミュニケーションが取れなくなるとは思いもしませんでした。

 自分が何を信じていたかというと、社会の弾性みたいなもので、平和を構築し、維持しようと努めることを、どこかで人間の本能のように捉えてしまっていました。だから、夢見ていた未来は来ないまま

 

 と、ここまで書いて止まっていた日記を、そのままアップします。いつ書いたものかよく思い出せないのですが、6 月中のようです。

 上に書きかけたまま止まってしまったことと関連して、こないだTwitterに以下のように書き込みました。

 このときは「専門が違うこともあって、最初からよくわからなかった」と書いたのですが、不正確でした。

 よくわからなかったのは、私の側に偏見があったからです。

 研究を志す人は、一見どれほどマッチョに見えたとしても、支配構造や権威、権力から距離を取ろうと抵抗するもので、少なくとも差別や理不尽に対してははっきりと NO という前提に立っているものだ、という思い込みがあって、その思い込みの中で東浩紀の論文を読んでいたせいでぴんと来ていなかったのです。

 専門が違うからよくわからないってことになれば、私にとってほとんど大抵のことはよくわからないことになってしまうわけで、まあ、確かにパソコンの下取り申し込みのときの説明とか「よくわからない」ことだらけではあるのですが、東浩紀の文章のわからなさは自分にとってわりと格別なものがあったのです。

 ひらたく言うと、「こんなに勉強しといてそんな態度なのか?」ということです。

 話を元にもどすと、「平和を構築し、維持しようと努めること」はとても創造的なことで、ちっとも当たり前なんかではないのでした。そういうことを、Perfume の新譜を聴くとしみじみと、ふわふわと思うのでした。


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 Perfume がずっとこうして歌って踊っていることは、もはや抵抗の成果だと言っていい事態だと思います。

 

🎧 おしまい ♪