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幽霊について

3 月 8 日は国際女性デーでした

 一昨日、3 月 8 日は国際女性デーでした。

 国際女性デーは女性の政治的解放を目指す統一行動日として始まりました。

 20 世紀初頭に北米とヨーロッパ全域で女性労働者たちが中心になって起こしたデモやストライキ、国際社会主義婦人会議(1910)でのクララ・ツェトキンからの提言、そして、ロシア革命(1917)という大きなうねりの中で 3 月 8 日の統一開催に至りました。日本でも 1923 年から断続的に、1947 年からは毎年続けられています。国連では 1975 年にこの日を国際女性デーと定めました。

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 1970 年代生まれの私も、性役割が厳格な家庭、社会で育ち、心細く怖い思いをしていました。青空を泳ぐ鯉のぼりは怖かったです。自分ではああした(家父長的な)関係性を築けるはずがないと思え、また、その関係性を築けなければこの社会に居場所はないと日々脅されて真に受けていました。

 学校の図書室が好きでした。特に、高校の図書室は書架と書架の隙間にも椅子があって、快適で落ち着きました。放課後になると図書室奥の司書室に国語の先生がやってきて、二人で仲良くおしゃべりしながらなにやら作業をするところをよく見かけました。私は自分より少しだけ年齢が上の女性二人が楽しそうに働いているのが視野にあると、安心しました。

 彼女たちは私にとって、自由で何でもよく知っていて知識とともに楽しく暮らす、町外れの魔女のような存在でした。

 「地に足がついた」と評価されるような価値観からは距離を取り、ちょっと地面から浮いたような状態を維持し、自分の身体と心と自分のそばにいてくれる人を大事にして、快適さにこだわり常に互いのケアを怠らず、創造的に、ストイックに、そして享楽的に生きる。そういう姿を実際に目にしていたことが勇気に繫がっていました。

 今、自分は、魔女と呼ばれて迫害されてきた人たちの歴史、そういう人たちが実在し、抵抗の事実があったということに助けられて生きているんだなあと感じます。先生たちは魔女と呼ばれたわけではありませんが、地域の大人たちはよく若い女性の先生たちを「若い、独身の女性」だからといって見下したり、噂話の対象にしたりしていたので、構造としては同じだと思います。一人で働いて生活している女性に向ける世間の目の汚らわしさを小、中、高と目の当たりにして、私は「軽蔑」という感情を学びました。

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 税などの諸制度で細かく分断され、連帯を阻まれることの多い女性ですが、今また、社会活動をしている若い女性や女性政治家、そしてトランスジェンダーの方々が宗教右派から日々執拗な攻撃に遭っています。「歴史は繰り返す」と言いますが、正確には「ぼんやりしていると、自分が差別構造の部品になり、歴史上何度も見られてきた暴力的な排除行動に加担することになる」ということだと思います。映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』で主人公のすずは「うちはぼーっとしとったけえ」と何度も言います。ぼーっとしているうちに人生を決められてしまった、ぼーっとしているうちに暴力に加担してしまった、ぼーっとしているうちに会ったこともない人から「死んで欲しい」と思われることになってしまった、そういうことを全部知らんうちに死にたかったと彼女は言っています。「ぼーっと」していることは実は彼女にとっては盾のようなもので、しかしその盾も結局は彼女を守れなかった。ぼーっとしているふりで絵を描きながら生き抜いてきた彼女が戦争で右腕を失い、望まれながら子どもができず、戦災孤児をひきとり……あれからどんな戦後を生きたでしょうか。すずより少し若い祖母は楽しいことが好きな人でした。楽しいことが大事なので、細かいことは我慢で済ませるのをよしとし、えらい人は言い出したらきかないからだまって言うことを聞くしかないと繰り返し言う一方で、「戦争だけはしたらだめだ」とよく言っていました。「だまって言うことを聞く」の積み重ねの果てに戦争は起こると思うのですが、戦争を起こすのは「だまって言うことを聞く以外ない」と思わせる側です。「だまって言うことを聞く以外あなた方には選択肢はないんですよ」と繰り返しメッセージを送り、「だまって言うことを聞く」ことにした人たちを共犯にしたて、そうしない人たちを魔女狩りの対象にして、そうして戦争を起こすんだと思います。

 もし、そういう「だまって言うことを聞く以外にない」社会じゃなかったら、きっと祖母はもっと楽しく、もっと生き生きと生きられただろうと思います。いつも不機嫌な母だって、あのもちまえのパワーが生かされる機会があっただろうと思います。

 いや、母は生きているので、これからそういう機会があるかもしれません。

 「えらい人が言い出したら、まわりが何て言ったって聞かないから、だまって言うことを聞く以外にない」なんて言って黙っていないで、どうせ結果が同じと思うなら、一度、「私はそんなの嫌だ」って口にしてみてほしいです。「間違ってるものは、間違ってる」って、口にすることから私たちの主体性と社会性が花開き始めるのですから。


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🌸 おわり 🌸