プール雨

幽霊について

i の上のヒトデと欠けた t

今日も日が暮れました

(最新豪華船のクルーから客に送られた個人名入りの手紙は)ターコイズブルーの文字色で、iの点は小さなヒトデになっている。(ディアナ・レイバーン『暗殺者たちに口紅を』p.32 より)

(舞台初日、劇場前の電光掲示板の)アンソニーのtの字は電球が切れていた。(アンソニーホロヴィッツ『ナイフをひねれば』p.46 より)

 『暗殺者たちに口紅を』は過剰に飾り立てられた「i」の文字で、『ナイフをひねれば』はまるごと欠けた「t」の文字で幕が開きました。どちらもここから「きっちりとすべての i に点が打たれ、すべての t に横棒の入っている本の最後のページにたどりつく」(アンソニーホロヴィッツカササギ殺人事件』p.259)まで、それはもう、いろんなことがありました。じりじりとしながら幾晩かをやりすごし、きちーっと収まるべきところに収まるべき文字が収まったときにはとっても嬉しかったです。

 『暗殺者たちに口紅を』は『ジョン・ウィック』の高齢女性版とでも言えばいいでしょうか。暗殺を仕事としてきた女性たち四人が定年を迎え、さあこれからは穏やかに過ごしましょう、またなにか新しいことを始めたっていいんだし! と所属していた組織「美術館」からのプレゼント、豪華客船での旅に出たところ、なんと逆に暗殺されそうになり……というお話です。

 組織名が「美術館」なのは、基本の仕事がナチスの収奪した美術品を回収し、もとの持ち主に返すことだったからです。四人それぞれに、いろんなことのあった四〇年、まさか最後に組織に狙われるはめになるとは。彼女たちのこれまでと現在の逃避行の両方が描かれ、最後にはひとつの像を結びます。

「いい仕事ぶりだよ」と、聖ミカエルを指さした。

「現れる。悪者を殺す。生きて帰る」(『暗殺者たちに口紅を』p.211 より)

 楽しかった!

 ラストまで読むと思わず最初から読み返して、「あ、そうかあのときのあれがラストでああなるのか」と味わえる楽しみもあり、なんか、くさくさするなあと思うような夜にはこれを読み返せばよいわけなのでたいへんよい体験をしたと思います。

 ホロヴィッツの新作は、ホーソーンホロヴィッツ(登場人物)のシリーズで、またもやホロヴィッツ(登場人物)がホーソーンに、君は隠し事ばかりで僕には何にも話してくれないじゃないか、こんなんじゃ、やってられないよ……! と決別宣言をし、ホーソーンがおいおい相棒、俺たちは結構うまくやってると思ってたんだけどナとしょんぼりされてしまうとなんだか悪いことをしたような気分になりずるずると前言撤回してしまうという、「おじさん・ミーツ・おじさん」ものなんですけど、やっぱり今回も「ホロヴィッツがぶーぶー言うほど、ホーソーンは冷たくしてるつもりないのでは?」ということが読み手に不思議とまっすぐ伝わってくるのがおもしろかったです。さすが、『名探偵ポワロ』をポワロ、ヘイスティングス、ジャップ、レモンの仲良し四人組のお話として仕上げた人はやることが違うと思います。

 今回は『名探偵ポワロ』で脚本を担当したホロヴィッツらしく、クリスティっぽさ満載なのも楽しかったです。罪は長い影を落とす。

 クリスティものでは、とんでもなくイヤな人が出てくると、大体その人、殺されてしまう。誰にとってもとんでもなくイヤな人が被害者ってことは、被疑者がたくさん! ということで、何がどうなってそうなるので? とややこしさ倍増です。

 色々と片付かない日の夜はこういう、あんまり長すぎなくて、ぴたっと収まりのいいラストが迎えられるミステリで気持ちを片付けます。片付かなくっても、読んでいるうちに寝ちゃう。それがいいのです。

ヒガンバナに蝶

日当たりの白い花

実のなる季節

📚 おしまい 📚