四十一
昔、同母の二人姉妹がいた。
一人は身分が低くて貧しい男を、もう一人は高貴な男を夫としていた。
身分の低い男を夫としている方が、師走の晦に、夫の袍を自分で洗い張りしていた*1。注意してしわを伸ばしていたのだが、生家ではそのような仕事は下女の仕事で、本人は習い覚えていなかったので、袍の肩を張るときに破いてしまった。どうしようもなくて、ただひたすら泣いた。これを、例の高貴な男が聞いて、とても気の毒に思い、たいそう立派な、六位用の緑の袍を見つけてきてあげたのだった。そのときに男が詠んだ歌。
紫の色こき時はめもはるに野なる草木ぞわかれざりける
紫草の色が濃い時は遥かに目にうつるすべて
野にある草木はみな紫色に見えて慕わしく見えます
妻の姉妹であるあなたも、妻と同様に慕わしいのです
この話は原典がはっきりしています。古今和歌集の 868 番です。
妻(め)のおとうとを持(も)て侍りける人に、袍(うへのきぬ)をおくるとてよみてやりける
なりひらの朝臣
紫の色濃きときは目もはるに野なる草木ぞわかれざりける
訳:妻の妹を妻にしている人に、袍を贈るときに詠んでやった歌
なりひらの朝臣
紫草の色が濃い時は遥かに目にうつるすべて
野にある草木がみな紫色に見えて慕わしく見えます
原典は、在原業平が妻の姉妹の夫、義弟に袍を贈るときにつけた歌です。紫草は「ゆかり」とも呼ばれ、縁を連想させる言葉で、妻のゆかりにある義弟に「わかれざりける」、分け隔てできない、あなたに対しても慕わしい気持ちになりますよと言っています。技巧に富んだ歌で、現代語訳しづらい情報が含まれています。「目もはるに野なる草木ぞ」は「目もはるかに見渡すと野原一面に草木が」の意味と「春になると野原一面に草木が」の掛詞になっていて、かつ、「伊勢物語」ではこの「はる」に更に「張る」をかけて上記のような話にしたてています。「伊勢物語」は「男」が妻の姉妹への配慮を示すので、原典に比べてちょっとややこしい話になっています。
「伊勢物語」初段の「春日野の若むらさきのすりごろもしのぶの乱れかぎりしられず」を思い出す話です。初段も「女はらから(同母の姉妹)」が出てきていましたから、ここでちょっと最初にもどるイメージです。姉妹、ゆかり、紫草の連想から生まれた二つの話。初段では元服したばかりの「男」がきれいな姉妹を見てぽーっとなり、それをすぐ歌にしたのでした。この四十一段の「男」は初段と比べると大分大人で、妻の姉妹への配慮ができ、経済力もある頼れる存在として描写されています。螺旋階段をぐるっと回って、似たようなエピソードが登場する構成だけに、ぐっと大人になっている感じです。
半夏生、片白草。きれいで情緒もありますが、名前が長いので歌には詠まれにくいでしょうか。
📚 突然ですが、おしまい 🌼