プール雨

幽霊について

尊敬しているから許さない

 『虎に翼』第十四週「女房百日 馬二十日?」での寅子の穂高先生に対する、感謝はしているけど、許さないという態度はとてもよかったです。「許さない」という言葉がこんなに光り輝いたのは日本語史上何回目? それほど数は多くないのでは。光の強さではトップ級かもしれません。

 主人公の師をこんな風に生々しく、リアルに描くなんて。

 穂高先生は理想をもち、こつこつ働いてきた人。助けられる人は助けてきたけど、助けられた相手は少ない。その相手の一人が寅子の父親でした。

 穂高先生はできるかぎり誠実に生きてきて、立派な成果も残しています。そのひとつが、この一話前で出た、尊属殺人違憲判断です。残念ながら圧倒的多数で合憲の結果が示されてしまいましたが、穂高先生が違憲判断を表明した記録は残ります。それが弱い立場にある人たちを勇気づけ、いつかは「そんなの、違憲で当然でしょう!」という合意が形成できる。そう確信をもって言ったのは、寅子でした。

 穂高先生は少なくとも二度、寅子に対してやってはいけないことをしました。「(優秀な)ご婦人方」の活躍を願って運動をしていた穂高先生にも、寅子はひとりの、意志も事情ももった、尊厳ある人間だということが見えていなかった。「(優秀な)ご婦人方」の一人に過ぎなかった。それが顕わになる瞬間が少なくとも二度ありました。

 そして、穂高先生は自分自身はもう老いた、できたと思えることをひとつひとつ数え上がると非常にこころもとない、あとは後進に任せる、と嬉しそうにスピーチしました。

 そのとき、寅子の悔し涙が百合の花に一滴、こぼれました。

 学問の象徴、白い百合。

 寅子と穂高先生をつないだ、学問の、法学の道。

 尊敬も感謝もしている、だからこそ、あのときのことも、今、このときのことも許さない。

 すっごく当たり前の展開だと思いました。

 あそこで寅子がスンッとして、涙ぐんだ目で白百合を先生に渡し「お世話になりました。あとは任せてください」とか言っても、しょうがないわけです。

 桂場はそれを想定していたようですが、そうだとすれば、甘くない? あんなことがあったのに、どうしてそんなことを寅子にさせようとする? 寅子が家父長制の部品のように遇された現場にいたのに。

 寅子ほど梯子を外されたり、頭越しに人生を決定されたり、ひどいことをされたことはありませんが、私も恩師に対して「いいかげんにしてよ!!」と思ったことはあります。「先生、何やってんの!」と。そのときのことは許さない。事情も心情も存じてはおります。

 また、恩師が私に弱音をはくときがあって、「先生、その弱音、現役の、男子学生にははきませんよね?」と怒りをため込んでいます。「そりゃないんじゃないの」と思っています。

 そりゃないんじゃないの、先生。

 尊敬しているからこそ腹が立つ、感謝しているからこそ許せない。そういうことがあって、「どうしたらいいんだ!」と声を荒らげる穂高先生と「どうにもなりませんよ!」と怒鳴り返す寅子のやりとりは、ごまかしがなく、すがすがしく、当たり前で、よかった。

 私だったらスンッと花束を渡して、そして私が「スンッ」としてるなってことを先生もわかって、それでおしまい。

 そんなこと繰り返してちゃ、ダメなんですよ。

 ダメなものはダメ。失敗は失敗。過ちは過ち。

 そこに意味づけするのは善意だろうと友情だろうと不潔。

複雑な気持ちでシャトレーゼのちらしを見ているぽーちゃん

ちらしを見たあと、考え込むぽーちゃん

暑すぎ

🏫 おしまい 🎓