プール雨

幽霊について

あなたの話を聞かせて

『神と共に 第二章 因と縁』を見ました。

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御仏前感が出てしまいましたが、映画館でもらったいろんなシールやらファイルやら。

監督・脚本:キム・ヨンファ

出演:ハ・ジョンウ、チェ・ジフン、キム・ヒャンギ、マ・ドンソク、キム・ドンウク、イ・ジョンジェ 他

事故死と思われていたキム・スホンだったが、使者カンニムの調査により殺人であったことがわかり、カンニムはスホンの裁判を願い出る。一度は怨霊となったスホンの死が無念の死であったことが認められれば、スホンは生まれ変わることができるからだ。しかし、スホンは生まれ変わらなくてもよい、ただお前の話が知りたい、お前は誰で、なぜ俺を助けようとするのだとカンニムに詰め寄る。一方、裁判を認めるかわりに、ソンジュ神の力により寿命を超えて生きている人物がいる、その人物を冥界に迎え、掟をやぶったソンジュ神を消滅させよという命令を受けたヘウォンメクとドクチュンだったが、あと 40 日待ってくれと懇願され、その代わりに自分たちが忘れている過去の話を聞くことになる。

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第一章を見た当日、泣きながら第二章の前売り券を買って、めでたく公開初日に見に行くことができました。

 第一章の感想はこちらです。

poolame.hatenablog.com

第一章は消防士キム・ジャホンが不慮の死を遂げた後、罪を自覚し、赦しを願い出るまでの話に使者カンニムたちの因縁がちらっちらっとからむ構成で、めっぽうおもしろくはらはらどきどきしました。そして第二章の予告を見ると、「これはもう、たいへんなことになるな」という感じで、実際、それはもう、たいへんなことになっていました。

何と言っても、そこに座って腕を組んで困り顔をしているだけでおもしろいマ・ドンソクが「神」。家の守り神で、基本的に人に手を出してはならないのですが、そこの家の唯一の働き手であるおじいさんが病に倒れ家は地上げに遭い今にも出て行かされそうで、さらにそこに就学前の孫までが病床に伏してしまいお金もないということになり、ぱんぱかぱ〜んと現出し、それからずっと筋肉もりもりのおじさん(だが金はない)として、二人をもり立ててきたのでした。

とはいえ神だし、その上マ・ドンソクなのだから、二人を具体的にがっちり支援しているのだろうと思っているとあにはからんや、人並み以下のことしかできない。人には基本的に手出しできないので、なんと、「その筋肉は飾りか……?」というマ・ドンソクが見られるという驚きの展開が。

そこに引導を渡しにやってきたへウォンメクとドクチュン。この二人があっという間にその家のおじいさんと孫に同情し、ソンジュ神の願いを聞き入れ、自分たちもおじいさんちに転がり込み、孫に字を教えたり、おじいさんを役所に出向かせて生活保護の手続きを取らせようとして失敗したりする。特に役には立たない。

ソンジュ神はヘウォンメクとドクチュンに請われるままに生前の彼と彼女の身に起こったことを教える。脇では孫が聞いていて、「もっとお話して!」と先を促す。

ところで、この映画はこう見えて意外とストイックなつくりになっていて、使者たちは冥界の魑魅魍魎たちや下界の地上げ屋などと相対するものの、なにせいちおう冥界の使者なので、そんなにアクションアクションはしていないのです。すっすっすと消えたり出たり。それに、「アクションのためのアクション」のようなシーンがないのです。 

だからこの手のものとしては異例なくらい「ひゃーかっこいい!」となるシーンはなく、そこに何の不満もないのですが(異常におもしろいので)、「この体幹のしっかりした人たちが裾の長いお洋服を着てひらひらとターンしたりしたらさぞかしかっこいいでしょうね」という程度のことは思うのです。

それがこの第二章では、1000 年前、彼ら彼女らが生きていたころのお話には必然的に、馬に乗って駆ける、ですとか、戦場で鬼神のようになってすっすっすと相手を斬りつけていく、ですとかそういったシーンがあって、そのときの「人間が身体能力いっぱいいっぱいに動いている」映像の見応えたるや、すごい。

1000 年前のヘウォンメクとドクチュンは人間なので、重力があって、重くて、薄汚れていて、哀れで、そして切なくなるほど美しい。

今のヘウォンメクとドクチュンは記憶を奪われているので、彼と彼女をからめとっていたものから自由で、むき出しの魂がそくっと立っているようなもので、軽みがあり、純粋で、二人とも「芯がこういう人なのだな」という感じがします。

この二人の姿を見せつけられるせいで、ソンジュ神が言う「悪い人間などいない、悪いしくみがあるだけなんだ」という素朴な言葉に説得力があふれます。

ヘウォンメク。

何もなければ、あんなことがなければ、ヘウォンメクはあんな表情で戦場を駆けるような人じゃなかった。あんなことがなければ、カンニムとヘウォンメクはそもそもなかなかいい組み合わせの二人で、二人で何事か成し遂げられていたかもしれないのに、と見ていて欲と後悔が溢れます。

一方、冥界でスホンの転生のために尽力するカンニムですが、その当のスホンから「これは俺の裁判じゃない、お前の裁判だったんだな」と言い当てられます。

スホンという人はおもしろい人で、「もう二度と生まれるのはごめんだ」と芯から思い、言ってしまうような目に遭いながら、自分を殺すことになってしまった二人のことは「そんなことをする人間じゃない」と言い、彼らと相対すると笑顔を見せ、最初から赦しているようなところがあります。

さすが、一旦怨霊になった人の度量は違う、と言いたくなりますが、ここでも、「どうもこの人は生まれつき、他人に共感をよせがちで、考え込む癖があって、だけど飄々としている不思議な人なのだな」という感じがします。あんなことがなければ、多くの人にとって救いとなったことでしょう。

このカンニムとスホンが一緒に歩きながら、カンニムが来し方を話し、スホンが「評価や判断は聞き手がする。お前は事実を話せ」と言いつつ聞いているシーンはカウンセリングの現場を見ているようでもありました。

罪を犯し、それを認め、赦しを願い出て、赦されるというその一連の過程が繰り返し現れるのがこの「神と共に」で、その赦しを願い出るまでの時間を非常に長く、辛く、そして多様なものとして描いていました。

ジャホンの 15 年、ヘウォンメクの数カ月(数年?)、ドンヨンの数カ月、そしてカンニムの 1000 年。数週間も数カ月も 15 年も1000 年も長いことに変わりはなく、どの苦しみも悲しみも取り返しがつかず、そして取り替えがきかない。

そして、結局はある父と兄弟の、それぞれの罪が赦される過程で多くの罪が赦されていったのだなあと思うとおもしろい。

さすがに地獄の話だけあって、時間感覚が全然違う。

第一章でヘウォンメクが「1000 年なんてあっという間だ」と言ったのは、それはそれでほんとだったのかも。でも横にいたカンニムとってはどれほどの時間だったのか。

とにかく、第二章を見てから第一章を思い出すとどきどきします。第一章ではカンニムは危機に遭ってまっすぐ「ヘウォンメク!」と助けを請い、ヘウォンメクは当然のように即座に応じたのですから。

というわけで、おすすめです!!

見終えた後はきゃーきゃーと感想会。三人でワインを二本空けました。はてなハイクのマナーで言うと、あともう一本飲めましたが(「ワインは一人一本まで」)、大人なので二本で帰りました。この赤ワイン、いい香りがして妙においしかったので、チョコレートも頼みました。おいしかったですねえ。

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いっぱい撮ったはずの写真が写っていなかったというミステリーが生じていました。

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夕方の新宿

ところで、さっき、公式サイトで得た情報なのですけれども、キム・ヨンファ監督のフィルモグラフィーに「プロ野球初となるゴリラ選手の誕生物語『ミスターGO!』」とあるのがたいへん気になりました。

以上です。