プール雨

幽霊について

信仰と私(2)

雨上がり

 「日本は宗教に関してはかなり大らか」とか「特定の信仰がない人が多い」という表現に昔から違和感がありました。みんな神社にお参りするじゃない、どうしてそれを「信仰」と呼ばないんだろうと。この数年その違和感が大爆発していたので、以下のように心情を吐露したことがありました。

poolame.hatenablog.com

(私は日本を)多くの人が「宗教という言葉」は忌避しながら、それと意識せず宗教儀礼を行っており、神道以外の宗教に対しては不寛容な社会だと感じています。(中略)正月には初詣をし、家を建てる際には地鎮祭を行い、厄年だといっては厄払いをし、鳥居をくぐる際には帽子を取り、といったふるまいが「当たり前」のこととして期待され、そうしなければ罰当たりだといわれる社会のどこが「宗教に関してはかなり大らか」なのでしょうか。また、たとえば鳥居の前を通ると自然と襟を正した気持ちになるといったことを通じて「いかにもそれこそが日本人だ」といった評価がなされるところも、日々目にします。つまり、神道の秩序が「日本」という国とわかちがたく結びついているのです。神道という特定の宗教がこの社会生活そして政治と強固なつながりをもっていて、息苦しいほどです。

 特定の右派の人々にとっては「日本列島」が信仰の対象になっていて、そこを聖化された空間として維持する目的で難民の受け入れ拒否や家族の形態固定化に執拗にこだわっているということは、大いにありそうな話です。というか、それくらい考えないとつじつまが合いません。

 この「日本列島」という宗教空間の特徴は、宗教空間らしくないことです。

 宗教空間に臨む際、人は世俗の価値付けや身分秩序といったものから解き放たれています。世俗の理屈と宗教空間の理屈はふつう別です。そして、そうであればこそ、人はときに宗教空間に希望を見出すのだと思います。

 しかし「日本列島」では世俗の価値と宗教の価値が分かちがたく結びついてしまっています。ここでは宗教が世俗の特定の身分を権威づけて法から遠ざけ、そうした世俗の理に合わない言動が宗教の価値を毀損しながら、互いに互いを食い合うようにして絡み合っています。

 神の国や神風といった言葉は今でもその中で生きていて、そういう言葉を信仰している人にとってはこの日本列島上に神々がいて、「国家」の要人はその神々の代理人のようなものなのでしょう。だから、特定の身分にある政治家が世俗の法を犯しても罰されることがないことを当然視する。「国家」の「えらい人」は「えらい人」だから大事にしなければならないし、どれほどおかしなことを言ってもその通りにしなければならない。そうした神の国的世界観の強固さに出会う度に、どうか宗教家として生きてほしい、政治にはちょっかい出さないでほしいと願って来ました。「日本」にタダ乗りするのはやめて、自分たちのワンダーランドを自分たちの手で作ってほしい、頼むから政教分離してくれと。でも、そういう人たちにとっては信仰と政治と戦いはどうしても分けられないものなのでしょう。厄介な信仰です。

人びとが地上で戦いをくりひろげているとき、天上では神々が同じように血を流しているとする神軍・神戦思想は鎌倉後期、蒙古来襲時にもっとも明瞭なかたちであらわれ、ことに異国を相手にするとき、この思想は神国思想のほとんど中核部分を占めていた。そして蒙古襲来から一世紀以上を経たこの時期にも神軍・神戦思想がなお健在であったことを、『明徳記』は物語っている。(中略)皇位簒奪ということがおこりうるとすれば、それはたんに天皇にとってかわるというだけではことたりず、同時に神国的世界秩序に筆を入れなおすことが不可欠となる。けれども血と神話によって巧妙かつ壮大に練り上げられた天皇制のコスモロジーを突き崩し、再構築することがいかにむずかしく、また効率の悪い作業であることか。その効率の悪さが過去のあらゆる権力にその試みを断念させてきたのだといっても過言ではない。(桜井英治『日本の歴史 12 室町人の精神』p.44 より)

 この、神軍・神戦思想に類するものを今も一部の政治家がもっておられるのはよくわかりましたが、でも、彼ら彼女らの政治活動と日々の言動がそれ(列島にはりめぐらされた聖化された秩序)を徹底的に毀損しているような気もするのです。

 神社の境内に政治家のポスターがあって、「めざせ、憲法改正!」的なメッセージが発されるのもめずらしいことではなくなりました。こうなってくると神社の境内にかつてあったかもしれない、誰でも安心して入れる、世俗とは切り離された雰囲気は壊れてしまいます。また、神社に貼られるのと同じポスターが他の宗教施設にも貼られ、連係のイメージが生じるといよいよ、「ちょっと安心したい」とか「休みたい」といった理由で神社でぼんやりするということが難しくなります。少なくとも私は近所の、政治的であることを隠さず、お祭りのときには秋元康系のアイドルが来るような神社では宗教的な状態になれません。

 で、ほんとのところ、上層部はあんまり信仰とか関係なく、単に支配階層と被支配階層がきっぱりと分かれた支配構造の維持を目的としているだけなんだろうなあと思いつつ、なにせ全部想像なので、突然ですがこれでおわります。

苔、青々

なんらかの実

のびのびと仰ぎみる白い花

📚 おわり 📚