プール雨

幽霊について

もちろん読んでいますとも、『セクシー田中さん』

 おもしろいです。

 漫画好きの方ならもう最新の六巻をお読みだと思うんですけど、私はいつものあれで、今、四巻を読んだところです。

 泣いたワ。

 倉橋さんは同じ会社で「経理部の AI」とあだなされる田中さんの美しい背中に気付いていました。ひょんなことからそのまっすぐな背中の秘密を知り、田中さんの後をちょこちょことつきまとい、自分もまっすぐになりたい、まっすぐ堂々と生きていきたいと思うのでした。

 でも、田中さんだっていつもまっすぐなわけじゃないし、倉橋さんだって、立派に生き抜いています。互いに劣等感を刺激されながら、手に手を取ってはげましあい、二人は今日もがんばります。

 私まだ、五巻六巻を読んでいないのですが、この先ひどく裏切られて嫌な気持ちになることはないだろうと信頼しています。いつ読もうかなあ。すぐ読んじゃおうかなあ。それとももうちょっとじらしてみようかなあ、自分を。

 それはいいとして、三巻では四十肩(リアルな描写がこわい)で苦しむ田中さんに世話を焼く四十肩の先輩、笙野さんがこう言われています。

なんて…

親切な人なのかしら…

ものすごく無神経ではあるけれど…

芦原妃名子『セクシー田中さん 3』p.84 より)

 ああ!

 わかる……!

 無神経な人が必ず親切なわけでも、親切な人が必ず無神経なわけでもないけれど、無神経さと親切さが密接につながっている人っている……!

 ぐいぐい来る。

 そういう人がいる場は一定程度以上の親密さを保つことになり、結局人間関係の安定に寄与するのですけど、時々だれかがその人に「あの人、無神経すぎて……」と怒っている。そして、みんな言うのが、「悪い人じゃないんだけどねー」。

 私はそういう人が結構好きです。

 ああ、リアルだなあ。「無神経だけど親切」って。びっくりするほど親切なのに、相手を助けているそのときにすら「無神経だけど」って言われている笙野さん。がんばれ! がんばれ、笙野さん、応援しています!

 これで思い出したのが、というか、正確に言うとはっきりとは思い出せていないのですが、連想したのが、ジョン・ル・カレの小説かエッセイで出てきた「従順で不機嫌」という表現です。

 ああ!

 わかる……!

 従順な人が必ず不機嫌なわけでも、不機嫌な人が必ず従順なわけでもないけれど、従順であるがゆえに不機嫌な人っている……! 世間体とか常識とかに対して従順で、大抵の理不尽は黙って飲み込んでしまう人が最後に残された自由が不機嫌なのかなあ、とはよく考えます。そういう人は自分が不機嫌だってことに気付いていないことも多いので、自分の不機嫌さに気付くことがなにか、道がひらかれる端緒になったりするのでしょうねえ。

 ジョン・ル・カレの文章に出てきた「従順で不機嫌」な人は子どもでした。今、子どもで、大人の言いなりになっていて、それで不機嫌なら不機嫌さと向き合えば変わっていける、って感じですかね。

 ここまで言っといて恐縮ですが、それがどの作品に出てくるのかいまだ思い出せません。

 書いたら思い出すのではと思いましたが甘かったです。

 ではでは。

📚 おしまい 📚