プール雨

幽霊について

ホテル暮らし

 今週はホテル暮らしをしていました。私にはめずらしい経験でしたので、記録を残しておきたいと思います。

11 月 7 日(火)

 朝 9 時過ぎの東北新幹線に乗り、まずは盛岡を目指しました。前の席の方が「ちょっとシートを倒します」とおっしゃって、それからシートを倒しました。それを見ていた隣の方が、「お席、代わりましょうか?」とおっしゃり、最初はどういうことかわからなかったのですが、前の席に傾斜がついていると不便なのではないかと心配なさったようでした。「まあ、なんということでしょう、とんでもありません」的な返事でお断りして、その後は「どこまで?」「盛岡まで」的な会話を交わし、穏やかに旅がスタートしました。「これは吉兆では」という期待が高まりました。

 11 時過ぎに盛岡に到着し、私はとりあえず、冷麺を食べることにしました。あの日は暑かったのです。

 仙台たんや利休という、全国津々浦々にある牛タン屋さんで、今確認したら東京にもある……が、そういう細かいことはこのときは確認しておらず、私は店員さんに誘われてほいほいとこのお店に入り、「冷麺をいただきたいです」とお願いしました。

じゃーん

 好き嫌いのない私がよりによって、生のリンゴだけはダメで、しかしこの旅で縁起の悪いことはできませんから、目を閉じて最初にさささささ〜っと食べて無理に飲み込みました。ほんとは「このリンゴ、軽く焙ってもらえませんか?」と言いたかったです。

 リンゴに罪はありません。

 リンゴの件が終わり、「すべてはここから始まる」という気持ちでスープをひとくちいただきました。おいしかったあ。レベルが低くて大変に恐縮ですが、レトルトのとは全然違う味で、まろやかで、いつまでもいつまでも飲んでいたいと思われる、そんな冷麺でした。

 その後、バスに乗り換えて、隣県、秋田を目指しました。バスの運転手さんは「狭い車内ではございますが、みなさまどうぞ、ごゆっくりおくつろぎください」とお声がけくださいました。とてもいい気分になりました。そして、写真がないのが残念なのですが、このとき車窓からは虹が見えており、「完全に吉兆」と心が浮き立ちました。

 朝から始まった移動が終わったのは夕方。予約したビジネスホテルに入ると、一階には大浴場があり、「ひとっ風呂浴びて寝たい」という気持ちが高まりました。が、待ち人がいるので荷物を置いて、その人たちの待つアパートへ。

 姪(8 歳)は私を見るとうさぎのようにぴょんぴょん跳ねて、「雨子おねえさんにやっと会えた!」と喜んでくれました。私は彼女が乳児だった時代に何度か会っているので初めてではないのですが、姪(8 歳)からすれば初邂逅です。それから、姪(15 歳)も帰ってきて、三人でのんびりとミルクココアを飲み、どこがどうしたわけか話は打首獄門同好会へ。

www.youtube.com

 どうしてこうなったと思っているうちに妹、真綾さん(仮名)帰宅。再会を祝して喜びの舞を舞う四人。明日は離婚調停イェー! 気持ちをしっかりもってがんばろうイェー! 絶対に引けない交渉ごとというものがあるんだ、なぜなら健康と命と人権がかかっているからだイェー!

 と、意思確認をしあったのち、「明日も早いから」とクールに解散。

 ホテルにもどってひとっぷろ浴びてがくっと寝入り、夜中に一度かーっと喉が渇いて目が覚めました。ホテルの部屋が乾燥しているせいでした。ぼーっとした頭で白湯を飲んで、その後は熟睡しました。

11 月 8 日(水)

 あこがれの「ホテルの朝食」初日。

 ふだんは素泊まりにすることが多いビジネスホテル。今回は「ホテルで朝食をじっくり食べたいものだ」という欲望に従いました。朝食はビュッフェスタイルでした。

ベーコンとスクランブルドエッグ

 このスクランブルドエッグがとろとろでおいしかったので「明朝はこれをごはんにのせて食べよう」と心に誓いました。

 おなかいっぱい、勇気凜々になり、真綾さんの運転する快適な車で裁判所へ。道中、二人でこちらの主張を確認。復唱。いざ!

 裁判所では申立人と相手方しか調停室に入れないので、私は待合室でじっとしていました。このときまでは、申し立て人がこどもの親権を諦める気配はなく、おそらく裁判まで行ってしまうだろうという覚悟を私たちは決めており、待ちながら「裁判になったらどうしたらいいんだろう。まず法テラスに行って、弁護士さんを仲介してもらって、費用を一時立て替えてもらい、それを月割りで返済する手はずを……」と指さし確認しつつ考えていました。

 ふっと顔を上げると、ついさっき調停室に行った彼女が笑顔を浮かべて戻ってきたので「忘れ物?」と尋ねると、なんと、「終わりました」と言うではありませんか。

 「離婚してくれるって。親権もこっちに渡すって、急に」

 「……え?」

 「この後、手続きをしたら、離婚成立です!」

 「……え! ほんとに?」

 「まじですよ!!」

 驚きのあまり、素直に喜べない我々。「なにか裏があるんじゃないか」「こっちが想像もつかないひどいことを今後されるのではないか」と不安になり、これこそ相手の暴力の証拠だとすら思いました。

 「いや! ひどいことって何か想像もつかないし、とにかく今は落ち着いて手続きをして、そのあと、祝杯をあげましょう!」というところまで気持ちを片付けるのに、すこし時間がかかりましたが、二人で手に手をとって役所で離婚の諸手続をしました。ここで私が実父の名前を間違える事件が発生し、そのため届け出にさっそく二重線が引かれました。うなだれる私に 真綾さんは「お姉さんだけじゃないっすよ! 今私、親の名字間違えました!」といい、さらに二重線が引かれていく書類。これ以上ちょっかいを出すと二重線と修正印でぐちゃぐちゃになってしまいそうだったので、私はすこし離れた椅子に座り、『ぐりとぐら』を読みました。久しぶりに読むと、なぜ、ぐりとぐらんちにあんなに大きなフライパンがあったのか、そのことが不思議になりました。でも、そうじゃないんです。あれは多分、人間が捨てたフライパンを二人が拾って手入れをしてあそこまで立派なフライパンに仕立て上げたのです。多分。森の動物たちはおいしいカステラを食べられて、私は鼻の奥に卵のにおいが立つようで、この時点ですこし泣いてしまいました。

 さてここで、なぜ彼女の仮名を「真綾さん」にしたか、種明かしのくだりに入りましょう。

 彼女と私は初対面のときから気が合い、東京と秋田で離れていながら、ちょくちょく連絡を取り合っていました。しかしなにせ弟の DV 問題があったので、話題はそのことばかり。日常的な、「今日猫見た」とか「ごはんおいしかった」とか「花が咲いた」といった話をほとんどしたこなかったのです。我々は知りませんでした。お互い MCU を見ていて、ファンであるということを。今般初めてその話になり、妹の意中の相手がマイティ・ソーであることを知りました。マイティ・ソーの恋人はジェーン。ジェーンを演じたのはナタリー・ポートマンナタリー・ポートマンの吹き替えを担当したのは坂本真綾。そんなわけで「真綾さん」で通します。

 彼女はソーだけでなく、アントマンも好きで、アントマンが好きだから量子力学の勉強もしていて、おばあちゃんになったら大学に行ってみたい、という希望をもっているそうです。今の生活が落ち着いたら、地域の語学サークルにも娘ちゃんたちといっしょに参加してみたいそうです。

 そういう、これからどうしたい、将来どうしたいという話が聞けてすっごく嬉しかったです。

 じゃあまたね、元気でね、と手をふりあって解散しました。

11 月 9 日(木)

 さて、この日私は「スクランブルドエッグ丼を食べよう」とモーニングの会場に行き、「今日の卵料理」がオムレツであることを知りました。

あう

 でも、とろろにとんぶりを混ぜたものが供されたので、それで「とんぶり丼」にすることができました。おいしかったあ。

 ホテルをチェックアウトしまして、次に向かうは実家です。

 こわい。

 どんな話を聞かされてしまうことやら。

 暴力の矛先が私に向かってもおかしくない。

 そんな心配をしていたら、叔母が間に入ってくれて、一日私につきあってくれることになりました。

滝とそこから流れていく水

やけにリアルにつくってあるブロンズ像

私のお気に入りの場所

 母は、息子のしたことが暴力だとはどうしても考えられないようで、「元嫁」を悪し様に罵りながらも、最後には彼女のことが心配でたまらないといって泣き出し、どうしても思考の上では、「嫁」を一人の人間として対等に見ることはできないなかでも、そうじゃない、個人同士のやりとりみたいなものもあったんだろうなと思いました。
 『DV被害者支援ハンドブック』的な本を何冊かまとめて勉強してみてわかったことがあります。暴力を振るう側に行動変容を望むのは無理なこと、一度、自分が暴力を振るってしまった相手を、反省してひとりの人として遇していくことは人間個人には無理なことなどです。そうした、一冊では納得しがたいことが身にしみてわかりました。

 だから、そういうことがあったら、その関係はもう終わり。精算して離れるしかない。そして、離れる決意は被害者にしかできない。逃げて、手続きをして、終わりにもっていくのは被害者にしかなしえないのです。でも、被害のただ中にある人は疲れているし、余裕がありません。はたから「別れるしかないよ」と言われ、そうするしかないと頭ではわかっていても、動きようがないということだってあります。広く支援の輪が被害者を囲んでいないと、やりきれることじゃないです。公的な制度はありますが、そこにたどりつくためには、なんといってもそばに理解者がいないと。そのためには現に加害/被害の関係性の中にいない人にも DV の知識がなければ。想像や善意ではとても追いつける事態ではありません。

 今現在、まわりに何も問題がなくても、いつ助けが必要な人があらわれるかわかりません。できたら余裕のあるときに、多くの人に『DV被害者支援ハンドブック』のような本を手に取って目を通していただきたいなと思います。

 実家でのお墓参り、会食などを済ませてまたバスに乗り盛岡までもどると、夕陽はもう沈んでいました。

北上川

 この日、まっすぐ東京にもどってもよかったのですが、ここでもう一泊。ホテルでカップラーメンを食べて、漫画読んで寝ました。

すてきなセット

 よく考えると自分はただじたばたしていただけで、実質的には何もしていなかったのですが、それでも、妹と姪達がこわいことから解放されて、これからは落ち着いて暮らしていけると思うとほっとして、『極主婦道』の序盤で寝入ってしまいました。

👜 おわり 🍙