昨年末の仕事はそれほど重くもなければきつくもなかったのですが、先方が大幅に納期に遅れ、しかしそれを受け取った私の納期は延びなかったという事情があり、作業は年末年始をはさむことになった。雨夫さんが心配そうに「お仕事の方はいかが?」と聞いてくるたび、私は「最悪ではない」と答えるしかなかった。ぎりぎりまでやっていたせいで、年内の仕事はものすごく中途半端なところで終わった。年末年始は雨夫さんの生まれ育った地へ行くことになっており、まさかそこに仕事をもっていくわけにはいかない。私は観念した。忘れよう、仕事のことは。年末年始じっくり休めばきっと新鮮な気持ちで仕事に臨め、さらさらとさららとすすめられるだろう。
そこは美しい街である。
あの日影茶屋もある。
吉高由里子が好きだ。だが吉高由里子はいまひとつ作品に恵まれない。伊藤野枝役も、彼女はよかった。というか、俳優の演技だけがよかった。みなさん、わけがわかってやっておられた。しかし、なにせ時間がたらず、ものすごく詰め込んだ展開で、すごろくを見ているようだった。あれこそ大河ドラマか朝の連ドラにもってきたらよいのではないか。そういう度胸を NHK にはもってもらいたいものだ。
この日影茶屋の向かいにある旗立山(鐙摺山)に登れるようになっているので、登ってみた。
登り切ったらそこに、ぽっかり広いところがあって、この街を、箱根を、江の島を見わたせるのではないかと期待した。
そうでもなかった。そこにはいくつか碑が立っていて、「これはどうも、常識レベルのことであるらしいのだが、いつ読んでも頭に入ってこないのだ」と思われるようなことが書かれていて、今般もそうだった。源平盛衰記から話は始まる。私は正直、今登ってきた道を下るのがこわかった。すてーんと行くのではないかという懸念があった。しかしそんな懸念を抱えているとき、人はあまり転ばないのであった。転ぶときはいつも目が上を見ているものである。
雨夫さんのご両親のおうちはとてもかわいい、きれいなおうちなのですけど、寒い。夏暑く冬寒い。それは戸建ての多くが抱える問題のようです。
でも、両親ともあまり断熱に関心がなく、「寒い」と言っても「そうお?」という反応で、エアコンすらつけようとしてくれない。
老親がエアコンをあまりつけようとしてくれない問題はそこここで展開していると思います。年輩の方々は耐えることが習い性になっている方が多く、「痛い」とか「寒い」とか言わない人が多いです。さらに、ほんとーにエアコンという機械は嫌われている。考えてみれば、今ご高齢と言われる年齢の方々はエアコンが社会に登場したときの記憶や経験があるのですよね。新しいものが登場するたびにやれ体に悪いとか、節約すべきだとか言い募ってきた発言力のあるみなさん、お恨み申し上げます。恨みますわ。耐えるのが美徳、我慢が大事と思いしっかり大地に足をふんばってきた我々の両親がいまさらそういうテクノロジーを頼って快適にすごそうという発想をもてるかと言われるとそれは簡単ではないでしょう。でも、ことは命の問題なので、あったかくしてほしいです。
ところで、数年前、その両親が喜寿を迎えましたので、我々は祝いの席を用意すべく、いい感じのお店を探していました。「中華がいい」ということだったので、その路線で探しておりまして、候補にあったいくつかのお店の中で、「HP の写真があまりおいしくなさそう」というその一点で私が候補からはずしたお店があったのです。このお正月、行ってみました。
おいしかったあ。ゆったりしたお店で、フロアのみなさんもプロフェッショナルかつ制服がかわいい!!!!!!
すてきだったあ。
このお店で喜寿祝いもよかったなと思いました。個室があるようなので。
海鮮の炒め物、エビチリ、黒酢の酢豚、炒飯と定番料理をすこしつずいただきました。ストイックな味というのでしょうか、しょっからくなくて、ひとつひとつ味が違っていて、おいしいし食べ飽きないし、HP の写真と全然違っていました。
機会があったらまた行きたいです。でもそうするとお母さんがなんとしてもお会計を済ませてしまうので困ります。ううむ。
お母さんという人はずっと働いている人で、全然すわって休まないのです。さすがに親が働いているところで大の字で寝ていられるほど私の肝もふとくありませんから、我々は我々のために江の島にお宿を取りました。お正月の親子旅行です。
江の島は信じられないほど人でいっぱいでした。参道がほそいのでそこがぎゅうぎゅうになってしまうのです。そこでその参道からぺろっと吐き出された私と雨夫さんは「江の島で歩いたことのないところを歩こう」とお散歩にでかけました。
雨夫は古い喫茶店が好きです。江の島には古い喫茶店がありました。
不思議なお店でした。
コーヒーカップがかわいかったです。
頃は日暮れ時でした。
夕陽を背にしてお宿にもどろうとしているとき、それは起こりました。鳥さんの群れがばさばさばさ〜っと写真の岩の上から旅立ったのです。私はそれを「ふぁ〜」と眺め、そして、なにかにつまずき、一度完全に宙に浮き、「やばいやばいやばい」と考えるほどの滞空時間をもって、地面に着地しました。肘から。
危なかったあ。
今年はもうこれ以上転ばないようにしよう。
そしてなにくわぬ顔で宿に戻り、晩ごはん食べたらお部屋で軽くビールでも飲みながらおしゃべりしようねえと母と話し、そして晩ごはんを食べたら、旅館の晩ごはんというのは大量で、一同おなかいっぱいになり、眠る以外になにもできず、起きたら朝でした。
このような顛末のはてに、私たちはへらへらと笑いながら「ばいばい、またね、元気でね」と二手に分かれ、なんのかんのあって、現在のわたくしがあります。
からかったあ。でも残さずいただきました。卵は写真のようは形状ではなく、ふわふわのかきたま状態で、食べる際には心の支えになってくれました。
納期目前という事態にふるえながら再開した仕事はまったく進まず、恐怖しました。年末年始で私のなにかがリセットされてしまい、非常に新鮮な気持ちで仕事に臨んだのはよいのですが、細部が気になって気になってしょうがないという危険な状況です。
そんな私に、新年会帰りの雨夫さんがすてきなおみやげをくれました。
かわいい箱です。
箱がかわいいです。
中身もかわいいです。
おいしいです。
幸福を感じます。
椿も咲き出しました。
これは心の支えになってくれそうです。
納期には間に合いました。請求書も出しました。滑り出し上々の 2025 年です。
🌺 おしまい 🌺