プール雨

幽霊について

雨上がり

 ここ何年も、極右の人たちからの攻撃にはひたすら恐怖してきたのですが、今更ながら「なんだ、動員されていたのかあ」と実感できて、個別的な恐怖は晴れました。

 極右の人たちに対して不思議だったのは文体が似ていることと、言及するイシューがフルセットで同じだということの二点です。

 疲労がたまっているので、もういちいち引用しませんが、まずは基本的にみんな言葉遣いがつたない。そして、つたなさのレベルが似ていて、語彙も似通っている。話題も同じ。

 たとえば、ハイクでも右派と呼んでよいような人は多かったのですけど、それぞれに固有の文体があって、それぞれに言及するイシューとしないものとがあって、「この人はこの問題に関しては合理的だけど、ことこの問題がからむと理性的でないな」とか、まだらがあったのです。

 それが人間なのだと思います。

 私には弟が二人いて、情けないことに二人ともいわゆる「ネトウヨ」(スマホを手にして常時ネットにつながることによって身を持ち崩したタイプ)なのですが、この二人が連帯できるかというと多分反目しあうと思うのです。よりマシな方の弟は旧民主党(現在の立憲民主党)に対するバッシングは不当だったと言っていますし、あらゆる問題点に関してきれいに自民党の政策にイエス、というわけではありません。それが人間だよなあと思います。

 でもここ数年、おもにTwitterまとめサイトで活躍していた「ネトウヨ」のスター的な存在の方々はとにかく自民党のすることならどんなことでもイエスなのですよね。真っ平らに。自己責任イエス原発推進エス増税エス、軍事費増イエス社会保障費減イエス同性婚反対にイエス、選択的夫婦別姓制度反対にイエス等々。これはイエスだけどあれはノーということがなく、自民党員なら暴力団選挙協力を依頼していたことが明らかになってもイエス、支持者に特別な利益供与があってもイエス、マルチの広告塔になってもイエス。そして統一教会との関係を隠さなくてもイエス統一教会からの選挙協力にもイエス

 と、ここまで来れば、個人の熱い想いなどとはかけはなれた動員+付和雷同であることが明らかなわけで、言っていることややっていることにまじめに付き合うことはないと思います。SNS では「言っていること」がすべてですから、まじめにもふまじめにも付き合う必要はないというか、積極的に距離を取った方がいいと思います。

 母は(統一教会とは別の、多少ソフトな)新興宗教に傾倒して献金のすえ貯金がゼロになってしまい、その過程で何度も衝突してきたのですが、言葉で応じたのがダメだったんだなと今では思います。

 彼女が理不尽な目に遭い続けて、「なぜだ、どうしてこんな目に遭わなければならないのだ」と考えたときに答をくれたのがその新興宗教だったのだなと、胸が痛いです。私はトラブルは向こうから脈絡なくやってくるものだし、そこに必然性も原因も理由もなく、あるとすれば事情くらいなので、「なぜ」と問うて被害を受けた方が責任めいたものを背負うのは間違っていると思うのですけど、彼女はそれじゃ納得できず、理不尽こそ運命と考えることに救いのようなものがあったんですね。

 それでたとえば今、彼女にそのことを言葉で説明し、また、その新興宗教が資金集めにどれだけ長けていて、その資金がどこへどう流れて、それがどんな風に社会に悪影響を及ぼしたかなんてことを説明するのはあまりに暴力的だし、伝わらないし、できない。

 できないってことに関して無力感も感じてきたし、あのときああしていればこうしていればという後悔はつきないけれど、自分の判断を大きなものに預けてしまっている人にはとても太刀打ちできない。彼女は夫より子どもより仕事より生活より「大いなる父」のようなものにずっといてほしかったんですね。

 それにしても、いろんな新興宗教を見ていて思うのは、どれも似ているなあということです。金を奪い、自由を奪い、性を管理し、外部を敵とみなし攻撃する(場合によっては武装する)。マルチなんかも似ていますね。マルチにつかまると、人間関係を金に換えていくことになるので、金だけでなく家族や友人も失って孤立していき、ますますはまっていくことになる。掛け金が大きければ大きいほど、足抜けできない。基本的に今、社会全体がマルチにおおわれている感じすらする。

 元首相には裁判で証言をし、法で裁かれて罪を償う権利がありました。それがこんな形で奪われたのはショックです。以前から、元首相は右派からの襲撃を心配した方がいいのではないかと思っていました。統一教会との関係があり、またそれを隠していなかったので。でも、現実はより、思いがけないものでした。

 実際、家族に新興宗教が関係していた身からすると、この、様々な新興宗教が蔓延して、日本が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の資金源になっているような状況はテレビや政党の広報を通じてかなり積極的につくられていった感じがします。今もテレビでは「信仰の自由」を盾に統一教会擁護が続いていて、テレビはカルトの玄関だと言っても、決して言い過ぎではない状況です。

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 どうしたらいいかはわからないけど、「この平気でウソを言う人たちはなんなんだろう。無根拠に人を攻撃する、この異様な言動は何だろう。どうして、こうも、次から次へとでたらめを口にするんだろう」と不可解に、また恐怖に思っていたことに関しては、理解できて、その部分だけはちょっと句点が打てたような気持ちでいます。

雨上がり