人には歴史も文脈もあって、それと当人を切り離すのは私にとっては非道なのです。その全部はもちろん、見えないし読めないわけですが、「この人の通ってきた道がある」「この人が置かれている状況というものがある」と想定することは大事だと思います。それが敬意にも、理解にもつながる。理解しようとする過程で親しみや愛も生じます。
「純粋に楽しむ」という表現を聞く度に冷え冷えとした気持ちになるのは、この、人や作品が属している文脈や歴史を無視します、という宣言に見えるからです。あなたが背負っているものは関係ない、ここにそういうものを持ち込まないでください、ここは「純粋に楽しむ」場所なんです。そして、そのように「楽しいことだけを、純粋に」と言っている人自身もその瞬間なにかフラッシュバックのようなものにおそわれているように見えます。
この「純粋に楽しみたいから」という言葉はわりと年齢にかかわらず、言う人は言う。そう言っているときの、その人たちの顔や声を思い出すと、とても重いものを感じます。溺れている人に笑顔で「楽しい話をしよう」と言われているような気持ちになるのです。
そういうとき、どんな風に話しかけたらいいんでしょう。
と、日頃そんな風に考え込むことがある人にぴったりの本を読みました。
タイトルに「技術」が入っているととたんに読みたくなくなる人にも大丈夫。豊かで愉快で気持ちが優しくなる、よい本でした。
おすすめです!
「聞く」と「聴く」の書き分けでは大体「聞く」方は表層的で、「聴く」の方がじっくりと深く相手の言葉に分け入っている、「傾聴」のイメージで語られるのですが、著者は「聞く」が大事だと言います。「深層」や「裏」、「行間」なんてものを探る前に、聞こえてくる言葉をまずは文字通り受けとめよう。話はそんなところから始まります。
この「聞く」が失調してしまうと関係は破綻し、人と人はばらばらと離れていき、孤立してしまう。不安になる。
大事なのは、聞くことと聞いてもらうこと、そのために会うこと、会い続けること。
今、目次をぱらぱらとまた見返しても、だいぶ豪快な気持ちになっています。
春だし、マスクを着けて気をつけて出かけましょう。会いましょう。
2 月は気付いたら行ってしまいました。
そして今日、3 月 1 日。
夕方、西日がぽってりと沈んでいくところを見ました。
🌞 おやすみ 🌖