プール雨

幽霊について

『逆転のトライアングル』と『KNOCK 週末の訪問者』を見ました

幸せの黄色い花もさすがに暑そうです

 道を行く人に「今日は暑くなりそうね、こわいわあ」と話しかけられた、むしむしの今日、月に一度の早稲田松竹詣でに行ってきました。

今月はこの左端の二本よ

 M・ナイト・シャマランはなるべく映画館で見るようにしていて、最新作の『KNOCK 週末の訪問者』はほとんど予備知識なしで「シャマランだから」の勢いで見ることにしました。人里離れた山小屋でバカンスを楽しんでいる三人家族のところに謎の四人組がやってきて、「家族のうち、誰かひとりに死んでもらわなければならない。明朝までにそれを決めてくれ。さもなければ世界がほろぶ」とか言って、三人が決められずにというか信じられずにいると、代わりにひとり、またひとりと儀式として死んでいってしまい、最終決断まで残り数分……という映画で、席であらすじを目にしたとき、「これは、私が嫌いな話だな」という気がしました。

 「ひとり殺せばみんな助かる」方式の話は生まれつき嫌いで、長年「いやだなあ」とか「まじむかつく」とか思いながら生きてきて、現在はついに軽蔑しています。でもシャマランだからこれまでにない違う味わいになっているだろう、と期待しました。登場人物はガス会社の社員、看護師、カフェのコック、小学校の教師、ゲイのカップルと、その二人が養子にして育てているこどもで、この辺りは、シャマラン風味だなと思いました。世界を救うかどうするかというその選択をする人たちが、ごくごくふつうの、というか地味な、ややもすれば人びとの視界からはずれているけれども、大事な仕事をしている人たちで、そんな、人知れずこつこつ生きてきた人たちが、人知れず世界を救っているという筋立てはいつものシャマランです。人びとが普段意識しない人、または意識の外に置こうとしている人、あるいは、見下している人。そんな人たちが実は世界を救った、という映画をシャマランは何度か撮っていますよね。

 でも、筋立てが結局トロッコ問題なので、どれほど俳優の演技やタイミングや映像がよくても「この映画、脚本を AI に書かせたのかな」という感じが延々漂ってしまい、おもしろくなかったです。これを見るよりは、『アストリッドとラファエル』を数分見た方がいいなと思いました。『アストリッドとラファエル』で、モニター越しに話している相手がほんとうに人間かどうかをチェックするためにこのトロッコ問題を出すのです。相手はひとりを殺してみんなが生き残る方を選ぶと即答したので、こいつ人間じゃない、ってことになるんですよ。「人間じゃない」は比喩じゃなく、実際プログラムだったのですが、この際人間だとしても「この人と話してもしょうがないな」って結論づけてもいい類いのことだと思います。『KNOCK』100 分より、『アストリッドとラファエル』数分の方が豊かです。ひとり殺すかみんなを殺すか選べって選択を迫るのは単なる脅しだし、それを迫ってきたのが「神」的な超越的な存在だろうと、隣人だろうと、言い出した時点で「なんでそれしか選択肢ないの。自分の悪趣味と攻撃性を正当化するために人を『思考実験』とか上品面して脅してんじゃないですよ」って話だし、そんな薄ら馬鹿のために希少な思考力を捧げるなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

 なんなのこれ、シャマラン、どうしちゃったの?

 そして、ついでに見た『逆転のトライアングル』がめちゃくちゃおもしろかったので(パニック映像がおぞましいので、注意)、足し引きで考えると若干のプラスが生じる映画鑑賞と言いたいところですが、映画鑑賞ってそういう風に足し引きで均したりできないじゃないですか。この『逆転のトライアングル』でわーーー! となって頭ぐるぐるぐる〜! となったのと、『KNOCK』で「AI が書いた脚本て感じ」と虚無を味わったのと、同じくらいの強烈さをもって私の胸の片隅にしっかり根を下ろしてしまった今日という日、私は山下清展まで見たのでした。

よかったよ〜

 山下清とスイスの相性のよさに驚きました。また、油絵との相性のよさにも。構図のよさ、ラインの美しさ、色彩設計の複雑さ繊細さ、情報てんこ盛りで楽しかったです。

山下清の蜂、おしゃれ

 へとへとになってスイカのカクテルなどいただきました。

とりあえず、このスイカが甘くておいしい

ビーフストロガノフも食べたの

取り皿があっためてあったの

 そんなわけで私、今夜熟睡してしまうと思うんですよ。

🎥 おしまい 🍉