プール雨

幽霊について

見ていますよ

 山下達郎がジャニーズ性加害問題について公式におこなった発言は、性加害の問題が発覚した際に起こる、加害者側の反応の雛形そのままでした。セクハラなどについて講習を行う際に使用できそうだとすら思いました。

 私はこの社会で「社会人」として生きていくなかで、力関係を利用した性加害の問題をはじめとして、あらゆる差別問題について極力気づかないように、無関心を保って、目をそらすことが、この社会を動かす上で重要なことだと学びました。「気にするな」「よくあること」から始まり、被害を訴えても信じてもらえず、あげくのはてには自分がそこを出て行かされることを通じて、または誰かを追い出すことを通じて、この不平等な規範に積極的に従属するのが社会人として望まれる態度だということを学びました。そして、多くの罪を犯しました。

 「社会」に出ると、語彙の半分くらいをごそっと奪われます。「やめてください」とか「間違っています」から始まって、最終的には「人権」「平等」「公平」「平和」などなど。「人間」なんかもそうかもしれません。

 だから成功している人というのは、たいてい、言語体系的にはぼろぼろです。

 そうなんじゃないかな?

 と、テレビをつけると思います。テレビに出る成功した人たちの言葉はたいてい貧しく、それこそ語彙の半分くらいがごそっと抜けているようで、とりあえず意味が通じるように調整されているときはまだしも、大抵は論理的におかしなことになっています。

 たとえば、「国のために死ねる」という表現があり、自民党の政治家なんかは好んで使うわけです。国のために、お国のためにと。

 でもそれって、どういう意味なんでしょうか。国民が死んで「国のため」になることなんてあるんでしょうか。ないでしょう、現実には。

 この表現が指すことの実態は「国が『死ね』と命令したときに、黙って従える」ということで、そう考えるとあってはならない状況だということがわかります。でも、あるんですね。はっきりそう認識しないから、いつのまにかそこに迷い込んでしまう。政府が示す規範に対して常に積極的に従属し、それを自分で選択したと思い込むような、そんな言語生活を送っていると、最終的には会ったこともない人をころせという命令に従わされたり、しねといわれたときに他に選択肢がない状況に至ったりするということですよね。だれがあなたに「ころせ」と言ったか、「いなくなれ」と言ったか、そこを普段から明確にしておかないと、とんでもないことになってしまう。

 ジャニーズの件はとても残酷です。多くの人が、ジャニー喜多川の犯罪を少なくとも「側聞」くらいはしていたわけで、そのなかでタレントたちはテレビでにこにことして、ファンがその姿に励まされたり、楽しんだりしていたという現実の全体があります。東日本大震災など、災害時には積極的にメッセージを発してきたりもしてきた彼らのなかに被害者はいたわけで、その被害を多くの人が知っていながら告発、起訴、逮捕といった道筋に至らなかった。文春との裁判もあったのに、まるで何もなかったかのようにエンタメの世界は動いていき、社会がそれをよしとしてきました。

 そして、こういうことがこの「戦後」と言われる時空間のなかでたくさん、起こっていて、多くの人が個々の被害を見ないふりをするよう、学習してきた。

 それがほんとに、残酷だなと思って。

 「今までみんな、なにも言わなかったのに急に言うのは変」ということが、それこそいろんな問題に対して言われてきましたけど、ずっと言及しなかったのが変なのであって、あふれたものに蓋をしているかぎりは、映画『新聞記者』の主人公たちのように猫背の首に重い物をのせられたような姿勢で「言葉が奪われた」と息も絶え絶えの状態で絞り出すところで終わってしまう。

 たった一度の人生をそうやって、口にすべき言葉を口にすべきタイミングで口にせず、あいまいな、きもい現象としてやっていくのは、私は嫌です。

 あの立場にある、長年ポップスの世界の第一線で働き、アイドルに曲を提供し、アイドルとともに仕事をしてきた人が、ああいう、性加害について一度でも学んだことがある人なら決して口にしない言葉を公共の場で口にしたという事実が重いです。

 友だちがときどき、「見続けるよ」「見ていようよ」と言うのですけど、その表明が今、光り輝くなあ、と思う。

 もうひとつ、重いなと思うのが、ああいう人が、公共の場で語るのに全然準備も勉強もせず、ただ「私には責任はない」と表明するだけで、一応通ってしまう現状です。身一つでそこに立っちゃうんだ、準備しないんだと驚きました。

 昨日は朝からぎらぎらと暑くて、

花びらの反射が大変

やばいもうだめだとか思ってたら夕方、天気雨が降りまして、

なかなかこう

ピントが合わない

天気雨でした

それで「ちょっとは涼しくなるかしら」と思いきや、湿気が大爆発して、へとへとになりました。湿度が高まると、息が苦しいです。

 で、今朝は朝から遮光カーテンを閉めて、扇風機二台を稼働させて家のなかで風を起こし、ちょっと動いては薄荷油をしゅっしゅし、正気をたもつ算段です。梅シロップもあるよ。

うすぐらい

うすぐらい

🎐 おしまい 🌴