日本政府は国連の自由権規約人権委員会から、人権機関を設置するよう再三勧告されながら 20 年以上応じていない。そのため、2023 年現在はフォローアップ対象になっている(フォローアップとは、勧告から一年以内に委員会に報告する義務を負う一連の手続きのこと)。前回勧告から一年の期限まであとすこし。報告できることはあるのだろうか。
政府から独立した人権機関をもたない社会であること、包括的な差別禁止の法律がない社会であることは、市民生活を送る上で重大な障害になっている。この社会が標準としている「健康で一定以上の納税をしている男性(で、かつ自民党支持か政治に無関心か)」以外の一般市民は、日々大小の暴力にびくびくしながら暮らしている。特に子どもの権利を制度設計している人たちがまったくわかっていないので、「まずはいい子にしないと(権利をもらいたければ義務を果たせ)」的な文言が「道徳」の姿をまとって子ども達のまわりを囲んでいるような状況だ。容易にグルーミングが生じる素地が日々の生活のなかでつくられている。
ジャニーズ事務所で行われた暴力行為は、だれもがよく知っているものだ。二つの意味で、それは何十年もの間、「公然の秘密」だった。一つ目は、一度ならず告発があり、一度は週刊文春の裁判により公的に加害が認定されたという事実によって。二つ目は、力関係の違いを利用した暴力はそこらじゅうで起こっていて、多くの人が加害者または被害者そしてその両方の現実をよく知っているという事実によって。これら二つの意味でそれは、私たちにとってなじみの深い秘密だった。知っているし、身を以て理解してもいる。でも問題にしなかった。
ジャニーズ事務所で起こっていることはとても残酷で、悲惨なことであるのと同時に、ありふれたことであるがゆえに問題化されずここまできて、問題化された後も、まるでなかったかのように振る舞うテレビ番組やファンの存在により、いつかまたあいまいなかたちで流れていき、今回の一連のやりとりがタブーとなる未来が予想される。
一部のファンは「アイドルなんてみんないっしょなんだから」とでも言いたげだ。
暴力で傷ついているのは「みんないっしょ」で、それを我慢することが人生なんだから、問題化するな、とでも?
この、人間が資材のように扱われる社会では、多くのひとがもののように扱われ身心をすり減らしていて、だからこそ、スポーツ選手やアイドルに戦ってもらい、勝ってもらい、輝いてもらうことを無上の喜びとする、そんな営みが成立する。どれほど日々、虐げられようと、バカにされ脅されようと、そしてまた立場が違えば脅す側にまわる生を生きていようと、すきなアイドルががんばっているうちは、自分もがんばれる。それがアイドルを受容する際の「型」になっている。
残念ながら、事実は違う。
あるアイドルの卵が日々のたゆまぬ訓練によりスターになったとして、その結果を手にしているのはアイドルその人で、その人ができるようになったことは他の誰のものでもなく、その人の技術で、それで自信をもちえるのは当人だけだ。誰かの代行で戦ったわけでも、勝ったわけでもない。
戦いの比喩、物語が覆い隠しているのは、だれも、だれかの代わりに生きることはできないという現実だ。私は安藤美姫が好きだが、彼女が世界選手権で二回タイトルを取ったことと私は無関係だ。私は目撃しただけ。見て、私のなかでうごめいた曰く言いがたいものは、私のもので、私が責任をもたなければいけないのはその経験についてだけだ。
日々の暮らしのなかで、なにか不当に、理不尽に自由を奪われ、選択肢を奪われることがあったら、「みんなそうだから」と飲み込むのではなく、まず「奪われている」という自覚をし、それを言葉にし、取り返さなくちゃいけない。最終的に全てを取り返せなくても、少なくとも、誰が、誰の何を奪って損なったか、その事実は明白であり、その事実を明確に言葉にしておかなければならない。自分のために。そうしないと、次は自分が誰かの自由を奪うことになって気付かないってことだってある。
地獄みたいな社会のなかにある、地獄みたいな組織で働いている私たちが好きなアイドルも地獄のような事務所で日々悲惨な目に遭っている。でもかれらはステージ上で輝く。そう思ってやりすごす。その経験全体が悲惨すぎて、言葉が追いつかない。
ジャニーズの問題は、ジャニーズにかかわっている人たちが明確に言葉にしていく以外ないわけで、それすらなされなければ、芸能界全体が残酷で、悲惨で、そして幼稚なままこれからも続いていく、だんだん小さくなりながら。小さく、余裕がなくなればますます悲惨になるだろう。それはその残酷で悲惨で幼稚な芸能界を含む、やはり残酷で悲惨で幼稚な社会全体に対してもいえる。
部屋を掃除するとき、「どうせまた汚れるから」といって掃除しないという考え方もあるだろうけど、一箇所きれいな場所があったら、そこが心の支えになるし、そういう「きれい」は広がる。とりあえず、自分のベッドはきれいで快適。それを維持する。それが自分を大事にするってことのスタート地点で、その地点からもう一度、好きなアイドルが地獄を生きているということを直視する。小さなことのようだけど、本人には大仕事だ。私はジャニーズにはほとんど縁がない。でも長いことハロプロ沼で苦しんだ経験があるので、人ごとじゃない。日々の暮らしのなかで言葉が出なくなって、「……」とももちの顔を見ているとその顔の情報で空虚が埋まる、そういう時間を 15 年くらい過ごして、「これは全体的に間違ってるな」と認めた。それを認める前には「あれは、社長のセクハラであったな」とか、「あの煎餅屋、完全に痴漢だったな」とか、そういう「自分の認識を改める」営みがあった。自分が生きていたのは地獄だったと認めた。「間違ってた」とひとつずつ指さし確認をして、自分の来た道は死屍累々だということを確認した。だからまず第一に、自分自身に謝りたい。せっかく生まれてきたのに、勇気がなくて、嘘で人生が埋まるところだった。そして次に、ももちに謝りたい。だめだろそれ、小中学生をアイドルデビューさせるな、ハードな労働に従事させるなと私の目が覚めたとき、すでにももちは大学を卒業していた。遅かった。でも、あのとき間違ってたと思うよ、ハロプロ。
そういうわけです。
📺 おわり 📺