プール雨

幽霊について

「哀れなるものたち」を見ました

たのしかった

 医学生のマックスは外科医のゴッドを尊敬している。身なりのいい学生たちからは貧しいマックスも、「モンスターをつくっている」と噂のゴッドも見下されているが、マックスはかまわないのだった。そんな彼にゴッドは自分の元で研究を手伝わないかと声をかける。ゴッドの研究所にはベラがいた。大人の体に幼児のような知能。ぎくしゃくとしか動けない。マックスはベラのすること、話すこと、食べるものをすべて記録し、その変化、成長の早さに驚くとともに、次第に心を通わせるようになる。

 と、そんなところで話がじっとしていたら、それはそれですてきなお話になるのでしょうが(注:なりません)、ほかならぬベラに似合わない。ここでキラキラした弁護士、ダンカンが絡んできて、ベラと駆け落ちしてしまうのでした。

 ダンカンに「僕と行こう」と言われる。じっと見つめられる。そうされるとベラは体温の上昇を感じる。それをゴッドに言う。今夜ダンカンと駆け落ちするつもり。一回、駆け落ちして、外の世界を自分の目で見て触れて口にして駆け回って、そしたら帰ってくる。このままここに閉じ込められていると、支配されているようで、私はゴッドとマックスを憎むようになる。だから一度出ていく。もちろんマックスは反対する。なにがなんでも行かせない! と顔を赤くする。ベラはいつものマックスと違うと思う。そこでマックスと口づけをかわし、クロロホルムをかがせて気絶させ、出ていく。クロロホルムは以前、外に出かけたとき、ゴッドが自分にそうしたから、ベラはそれがどのようなものか知っていたのだ。

 ベラは自分の体、自分の心、自分の欲を知ろうとしており、「これが私のからだ」と思える瞬間を愛している。興味をもつ、口に入れてみる、まずければ出す、自分が幸せになる方法を発見する、それを人にもすすめる、誘われる、応じる、楽しむ。

 楽しんだ後、ダンカンの姿を見ているとそれまでとは違う気持ちが生じているのを感じる。それは嫌悪や憎悪に育ちそうだ。離れてみよう。いや、改良できるかも。二人の関係を。それならもう少し一緒にいてみよう。

 ダメらしい。

 そんな風ににしてどんどん移動し、聞いて見て話して食べて学んで考えて、考え抜いてゴッドの研究所の前に立ち、扉が開いたときの表情がすばらしかった。

 ダンカンはベラを発見したとき、すでに他人の欲望に介在されていたし、男が権利の主体で、女は従属し、支配されるものという「常識」の中に収まっているので、ベラと出会っているようでいてうまく出会えていない。ベラに、この関係の主導権は君にはないよ、君は僕を欲望してはいけないというようなことを言ってしまう。ベラはただうなずく。それをこれまで出会ってきた女性たちと同様、「ハンドルはあなたに握っていただきます」というサインと思いこんでしまったから大変だ。ベラは単に、「僕に恋をするなよ」と言われて、文字通りにメッセージを受け取っただけなのだ。だから次の日からどんどん外に行く。会って、話して、合意が得られればセックスをする。そのときに話をする。その話をダンカンに聞かせる。

 ベラは自分の体が何を喜ぶか、自分の心が何を喜ぶかを注意深く見つめ、考える。吟味する。そこに真剣であること。そこから生まれる体験から逃げないこと。

 物語の前提となっている、医療と家父長制の関係や、女性の欲望を「病気」の枠に押し込める政治性については『魔女・産婆・看護婦』を思い出しました。

 おすすめです。

 見終えた後、食欲がわいて、食事を楽しく感じました。

 たいへんに直接的な反応で恐縮なのですが、ベラのように大きく口を動かしてじっくりと、自分がいま、なにを食べているか確かめながら食べてみたいと思いました。そうすると、ふつうのごはんもなんとなく楽しい。

次に見たい映画のパネル

夕方の月

 お花を買って帰りました。豆と沈丁花です。

いい香りです

おやつ

 ナッツや干したフルーツをばりばりと食べていると、とても楽しい気持ちです。
🍋 おしまい 🌰